書評:橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、2014年。
橋本一夫『幻の東京オリンピック 1940年大会 招致から返上まで』講談社学術文庫、読了。戦争で開催中止になったことはあるが、夏季オリンピックの開催都市が自発的に大会を返上したのは第12回東京大会(1940年)以外にない。本書は招致から返上に至るその経緯を克明に描き出す。94年NHK出版刊行の文庫収録。
近代オリンピックの歴史は、対IOCだけでなく、国内問題としても、かなりの部分が政治との闘いの歴史でもある。1940年東京オリンピックも例外ではなさzい。皇紀2600年慶祝のイベントは猛反対から始まったが曲折の末、冬季大会も札幌と決まる。
日本の侵略主義が開催ボイコットに直結するが、肝心の競技施設を準備せず開催意欲だけ先行した立候補が仇になる。日中戦争の拡大で競技場建設がストップし、開催か中止かの岐路に立たされる。「たかがスポーツの大会」としか考えぬ軍人たちはプロパガンダに利用したナチス以下の頭脳とも言えよう。
「ベルリン大会が真の国際平和と親善になんら貢献しなかったように、きたるべき東京大会もオリンピック本来の目的達成に役立つことはないだろう。さらに、米国選手がベルリン大会に参加したことがナチの宣伝を助ける結果になったのと同様に」東京大会でも利用されるとNYT電。
オリンピックとは政治との闘いの歴史であり政治そのものであるが、「平和の祭典」という看板もそれ以上に「現実」である。20年に東京開催を控える現在、政治に翻弄され「平和の祭典」を理解できなかった苦い過去を振り返ることは意義がある。
幻の第12回夏季オリンピックのメイン競技場は、なかなか決まらず最終的に神宮外苑競技場を改修して利用することに開催返上の前年(1937年)に決定しますが、それから6年後に、ここで出陣学徒壮行会が挙行される訳でして。それまで“取り戻”されたらどないしようかと、、、ぐったり。
橋本一夫さんが『幻の東京オリンピック』を94年に刊行した時、「日中停戦が実現して第十二回大会が東京で開催され、大勢の外国人が来日していたら、内向き志向の日本人の考え方も変わり、日本の軍国主義化にも一定の歯止めがかかっていたのではないか」という意見が多く寄せられたという(あとがき
「五十六年ぶりの夏季大会である。東日本大震災からの本格復興、原発事故や放射能汚染水の処理など困難な問題を抱える日本が、はたしてどんなオリンピックを開催するのか。世界中の目がそそがれることになる」との表現で著者は留まる。
オリンピック開催を返上して無益な戦争を拡大し破産して半世紀以上経った。外国人はたくさん、来日している。しかし、一方では「朝鮮人を殺せ」のような声も大きくなるし、一国を指導すべき人々が先の戦争を美化してやまないのが現在であることを考えると暗澹とした気持ちになってしまう。