日記:個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ
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貧困と病気と戦争が人類の三大敵とされて久しいが、そのどれもが過去そのままの大敵ですな。戦争は違う。個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ。個人たちは動員されて、命令されて、使用されて、そして犠牲を払うだけだ。個人群の中には戦争を肯定し、賛美し、それに便乗しようとする者もいるだろうが、それは少数であろう。大多数は、戦争は無ければよいと思っているだろうから、無くせばよい。今は国民が国家の主権者だ。大部分の国民が決意して行動すれば、国家の意思をどうにでも決められる。戦争を無くして、そのために用いられてきたヒトの力とカネとモノを余さず残りの二大敵の根治につぎ込めば、貧困も病気も苦しみの八〜九割は必ず解消できるだろう。
苦悩根治のこんな素敵な方法があるのに、何うえそれを数千年前の世でも、今のこの世でもやれないのか、問うメスを各自がおのれ自身に突きつけて、そして自分の答えを自分に提示しましょう。
−−むのたけじ『希望は絶望のど真ん中に』岩波新書、2011年、57−58頁。
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他の国にいって積極的に兵力を展開し、血を流すことを「積極的平和主義」と詭弁してやまないのが現在の安倍晋三首相ではないでしょうか。
積極的平和という言葉は、平和学者・ヨハン・ガルトゥングの造語で、単に戦争がないことを「消極的平和」と定義するのに対し、「積極的平和」とは、戦争がないだけではなく、構造的暴力による人々生活への圧力……例えばそれは差別であったり、貧困であったり……をも根治していこうという積極的な状態のこと。
アメリカの手下となって世界を相手にしてどこか「積極的平和」なのでしょうか。むのたけじさんが指摘する通り、「戦争は違う。個人は戦争をやれない。やれるのは国家だけだ。個人たちは動員されて、命令されて、使用されて、そして犠牲を払うだけだ」。
そんな世界はまっぴらごめんでございます。