書評:徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、2009年。

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徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、読了。「断層は時に地殻を揺るがして、不動と見えた既成秩序を崩壊させ、新しい地層の断面を露出させる。そして差異のうちに共通性を、共通性の内に差異を見出す」。本書は20世紀思想を貫く断層をその内部から描き出そうとする試み。

「神の力」から解放された20世紀は戦争と物質文明に翻弄された「神なき時代」。思想家たちはどのように格闘したのか。本書はウェーバーフロイトベンヤミンアドルノの4人をとりあげ、ハイデガーを対称軸にその思想を読み解く。

一元的価値観が崩壊した時代を「多価値」という分裂に対峙する「責任の倫理」を使命としたウェーバー。3つの一神教を相対化させるフロイト。「救済無き啓示」を希求するベンヤミン。救済なき哲学を徹底的に否定するアドルノ

「われわれが生きているのは『アウシュヴィッツ以後』の社会であって『ソクラテス以前』のギリシャの自然ではない。しかし前者が現実で後者が夢だというわけではない。両者のはりつめた緊張関係こそ現実」。断層を読む著者の遺言の如き一冊。

(なお蛇足)新書という大変に圧縮された紙幅で、思想家を読むという妙技を見せてもらった感。さすがというほかない。

 




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 思想史というものを、当今の実証主義的認識理想や事実信仰にもとづく視野狭窄から解き放って、本来の「大きな物語」という広野に帰すためには、むろんさまざまな方法論的反省が必要であり、既成の哲学的前提を、自明のことのように前提するわけにはいかない。そのためには、まず過去から未来へ単線的に流れる時間という「時間概念」と、その流れに沿って通時的に叙述するのを自明とする「歴史記述」のコンセプトを解体しておく必要があるだろう。過去から未来への飴のように延びた時間に沿って、しかしその流れの外、流れの傍に立って、そこでの出来事を順を追って記述するのが歴史だと思うのは錯覚であろう。
 歴史を見る・読む・書くという言語行為の主体は、流れる時間のただ中にあって、共に流れつつ、自らが切り開き、せき止める断面を通して流れを透視し、その重ね合わせられた断面を透して歴史を言語化し、視覚的な図像へと構成する。そのように物語ることに伴う視座制約性への反省は、正しい歴史認識の条件であるとともに、また錯誤の源泉をも意識させる。プラトンの「洞窟の比喩」における囚人たちと同じように、壁面に映る幻影の惑わしを、歴史を見る者も避けるわけにはいかない。
    −−徳永恂『現代思想の断層 「神なき時代」の模索』岩波新書、2009年、234−235頁。

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