覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著
毎日新聞 2014年06月01日 東京朝刊

 ◇遅子建(チーズジェン)

 (白水社・3024円)

 ◇重層的に織りなされる遊牧民族の愛の物語

 この小説は、遊牧民族エヴェンキ族の『百年の孤独』だ。

 しかも、重層的に織りなされる愛の物語だ。サマン(シャーマン)と族長という、二人の男に争われた美しい母。左岸からやってきて二人の娘を生んだロシアの女性。婚礼の日に命を絶った新郎と、その寡婦を救った男。事故で睾丸(こうがん)を失(な)くした男が拾った美しい漢族の娘。

 いくつもの愛といくつもの生と死が、アルグン川の右岸で営まれる。澄んだ水を含んだような、豊かで清涼な読み心地と、次はどうなるのだろうという素朴な好奇心に引っ張られて、巻を擱(お)く暇もなく読み進んだ。

 アルグン川は、ロシアと中国の国境を流れている。川を隔てた左側はロシア、右側は内モンゴル自治区だ。彼らの歴史を示すのはその名前で、タチアナとかイレーナといったロシア風の名前もあれば、イフリンとかクンダなど、一族に伝わるのだろうと思われる名前も、そして時代が下ると九月(ジウユエ)といった、漢語由来の名前も登場する。当然のことながら一族には、他民族の血がまじることにもなる。

 エヴェンキ族はトナカイを飼って生活している。荷を運んでくれて、乳を出し、肉は食用にもなり、皮が寒さから守ってくれるこの素晴らしい動物は、自然に生えてくる苔(こけ)を餌にしているので、エヴェンキ族の人々はトナカイが餌を求めるのといっしょに移住する。彼らが住んでいるのは、シーレンジュと呼ばれるテント式の住居で、トナカイが動くときはこの住居をたたんで移動する。家の他に貯蔵庫のように使われているカオラオポという木の上の建物もあって、こちらは人が亡くなると、風葬の棺が置かれることもあるらしい。

 三百年前には十二あった氏族も、アルグン川の右岸に辿(たど)り着いたころには六氏族になっていた。そして、この小説は二十世紀の話になるので、悲しいかな、氏族は減り続ける。

 仲間がみんな山を下りて街に定住することを決めた朝、エヴェンキ族最後の酋長(しゅうちょう)の妻は語り始める。自分の生きてきた九十年の年月を。一族の物語を。

 語り手が生まれるのは中華民国時代だが、やがてそこには日本がやってきて満州国を打ち立てる。日本人を追い出すのはソ連軍だ。そして中華人民共和国がそこを内モンゴル自治区とし、社会主義体制のもとに定住政策を進める。エヴェンキ族はだんだんと、彼らの暮らしを失っていく。人と動物と自然が隔たりなくある生活が壊れていく。

 美しい昔話のような生活が奪われていくのは悲しい。けれど、人々の傷や病気を治し、雨乞いをし、結婚と葬儀を取り仕切るサマンが、誰かの不幸を救うたびに自分の子供を失ってしまうのを読むのはつらく、これからは医者と薬があるからもう子供は失わずにすむと言われて、サマンの女性が涙を流す場面には、特別の感慨がこみ上げる。

 この小説の魅力は、その物語であるとともにそれを語る言葉だ。全編を通じて大きな要素である男女の営みは「風を作る」と表され、経血は「青春の命の水」、病は「胸の中に隠されている秘密の花」なのだ。

 定住を勧められた一族の老人が、まるで詩のような言葉で、トナカイは家畜ではないと怒る場面がある。トナカイは「露を踏みながら道を進み、食べるときは花や蝶(ちょう)がそばで見守り、水を飲むときは泳ぐ魚を眺める」のだと。

 註(ちゅう)をほとんど入れずに読者に内容を理解させてくれる、たいへん読み易い翻訳も心に残った。(竹内良雄・土屋肇枝訳) 
    −−「今週の本棚:中島京子・評 『アルグン川の右岸』=遅子建・著」、『毎日新聞』2014年06月01日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140601ddm015070155000c.html





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