覚え書:「今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著
毎日新聞 2014年06月22日 東京朝刊

 (河出書房新社・2160円)

 ◇文学と対峙し、時代を創った名物編集者

 まず著者である寺田博氏について説明したい。一九六一年に河出書房新社に入社。倒産によって一時休刊していた雑誌『文藝』の復刊第一号から、編集部に所属する。『文藝』編集長を務めたあと退社、数年後、福武書店に入社し『海燕』という文芸誌をたち上げた。私はこの雑誌で新人賞をいただいてデビューした。一九九〇年、そのとき寺田博氏は文芸編集部を統括していた。そのときから、二〇一〇年、亡くなるまで親しくつきあってくださった。

 本書は、河出書房新社に入社以降、六九年までの編集記録が描かれている。高度成長期の東京を背景に、二十代から三十代になる若き編集者が、松本清張井伏鱒二三島由紀夫の自宅を訪ねて原稿をもらい、ときに文学論を闘わせる。坂本一亀編集長が言った「編集者は同世代の作家とともに成長するものらしい」を胸に留め、開高健石原慎太郎大江健三郎江藤淳の動向をつねに気にし、自宅を何度も訪問して原稿を依頼している。

 電話ではなかなか本人と話せず、小林秀雄宅に直接向かい、作家とはじめて対面した光景が、映像が浮かぶかのようにくっきりと描かれている。その感動が、こちらにまで伝わってくる。

 作家の人となりが垣間見えるようなアンケートを掲載したり、文芸内閣を組織して閣議という名の座談会を開いたり、新年号に錚錚(そうそう)たる顔ぶれをそろえたりといった、雑誌作りの話も興味深い。

 そうして雑誌が発売されると、この編集者は新聞の文芸時評を読みまくる。自分の担当した小説がけなされていれば、わかっていないと怒り、それでも批評対象として取り上げられたことには素直に感謝する。編集長になると、彼は目を皿のようにして、自分の雑誌に掲載した小説への批評をさがし、二つも三つも引用している。文字の隙間(すきま)から、湯気が立つのが見えるような生々しい熱気を感じる。

 その作家の著作をすべて読み、あらたな方向を指し示す編集者も、それに応えてかじりつくように書く作家も、その作品を読みこんで自身の思うところを書く評論家も、みな、指の先、髪一本の先までの全身で、文学というものに本気で取り組んでいる。妥協もなく傍観もない。そうして読み手へと開かれていく。ひとつの小説というものは、作者が書いただけのものではない。まさに赤ん坊が産まれるがごとく、多くの人の力を介添えにして生まれ、生まれたらまたしてもだれかの助けを借りて、そして母体とは異なるいのちとして立って、世に出ていく。まさに、そんなようなものに思えてくるのである。

 私は以前、現代小説というのはただひとつそこに存在しているのではなくて、同時代を生きる作家たちが同時に創っているのではないかと思ったことがある。ある作品がほかの作家のインスピレーションを刺激したり、はたまた反発を抱かせたり、評論家の言葉が書き手のヒントになったり、というようななかで、私たちは小説にとどまらず何か大いなるものを−−時代ととてもよく似たものを、作り上げているのではないかと、ふと思ったのである。もしかしてそれは、この編集者の姿から、私が知らぬうちに学んだことかもしれない。編集者が対面に感動した大御所作家の次世代、第三の新人と呼ばれる世代が登場し、その後、内向の世代と括(くく)られる作家たちが出てくる。現代文学史のなかでそんな括りを聞くと抵抗を覚えるが、ここで生き生きと書かれる作家たちの登場を読んでいると、みなつながり、かかわり合っているように思えてくるのである。

 作家の家を訪ね、小説論を交わし、原稿を読み、編集作業をし、社内で会議をし、作家が亡くなれば葬儀に駆り出され、表紙やカットの絵をさがし、未知の画家を見つけるために展覧会までまわっている。小説と、文学と、いや、読み手も含めその周辺で生きる人と、がっぷり四つに組んで対峙(たいじ)している編集者の姿が浮かんでくる。この人は、編集者の力というものを信じていたのだとしみじみ思う。小説を生み出し伝え、そうして時代を創っていく、その力を信じて、使い切ろうとしていた。三十代の編集者は、ただひたすらに駆けまわっていたのだろう。けれど今、はっきりとわかる。彼はたしかに文学においてある時代を創ったことが。

 きみの書くものは厭世(えんせい)的すぎると、私はデビューしたときから寺田氏に言われてきた。世のなかに残っているすべての小説は希望を書いている。希望を書きなさい。寺田氏がくり返した言葉の意味がわかったとき、ようやくある小説を書き、それで文学賞をいただいた。その祝いの席で、「きみは文学をサボらなかった」とこの老編集者は言った。引退しても、寺田氏は最期まで私にとって編集者だった。編集の力を知っている編集者がそばにいることは、なんと心強く安心なのかと思っていた。ひとりではないのだから。

 寄り添い、対話し、ともに闘ってくれるあの安心感を、読みながら思い出した。名物編集者はもういないが、そのたましいには触れることができる。この本の刊行に私は感謝する。
    −−「今週の本棚:角田光代・評 『文芸誌編集実記』=寺田博・著」、『毎日新聞』2014年06月22日(日)付。

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