覚え書:「今週の本棚:伊東光晴・評 『料理と科学のおいしい出会い−分子調理が食の常識を変える』=石川伸一・著」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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今週の本棚:伊東光晴・評 『料理と科学のおいしい出会い−分子調理が食の常識を変える』=石川伸一・著
毎日新聞 2014年08月17日 東京朝刊

 (DOJIN選書・1836円)

 ◇キッチンに並ぶフラスコやスポイト

 料理が出会う科学といえば、今までは栄養学であった。この本は、名だたる料理人のつくった料理の「おいしさ」に、科学者が科学のメスをふるい、その成果を料理する人が利用するようになりだした最近の科学と料理のコラボレーションの動きをとりあつかったもので、著者はその道の若手の科学者である。 三つの話からはじまる。

 第一は、1997年にミシュランの三ツ星をえた、スペインのカタルーニャのレストラン「エル・ブリ」のことである。シェフ、フェラン・アドリアは、今までにない五感に働きかける料理方法を考案し、話題のレストランになり、世界のベスト・ワンになった。

 たしかNHKの「キッチンが走る!」だったと思うが、ミキサーにかけた食材を空気の力だけで泡立たせる器具を使ってムース状にした料理を作っていた。これが「エル・ブリ」を有名にした料理方法の一つである。イクラのように、はじける食感のものも作ったという。

 エル・ブリのキッチンには、フラスコやスポイトなど、化学実験室でおなじみの道具が並んでいたという。新しい料理のつくり方を秘伝にすることなく、科学者のようにすべてを公開し、科学研究チームのように、協力しあって創作料理をつくるのもフェラン・アドリアの特色である。この本は、これを料理人が科学と出会ったと書いている。

 第二は、ハーバード大学で2010年から開いている「科学と料理」の講義のことである。この講義には、海外をふくめ一流のシェフも登場し盛況であるという。

 第三は、おそらくハーバード大学での講義からの影響であろう。12年3月に京都で開かれた日本農芸化学会の一会場で、「京料理の挑戦:農芸化学とガストロノミー(美食学)の融合」というシンポジウムが熱気に包まれたという。京都の名だたる料理人たちと、京大の農芸化学の研究室による共同研究である。

 テレビにも登場する京の料亭「菊乃井」の村田吉弘さんは、昆布のダシをとる各料亭の方法と、大学の研究室の結果をくらべ、研究室の方法の方がよいと語っている。科学と調理の出会いのひとつの成果である。

 三つの話の後、著者は、人間はどのようなメカニズムでおいしく感じるのか、おいしい料理を形づくるものは何か。それをつくる道具へと話を進めていく。

 おいしさは舌から脳へであるが、この伝達のメカニズムの記述は専門的でむずかしい。しかし、好き嫌いはなぜ生まれるのか、同じものを食べ続けるとなぜ飽きるのか、などは重要である。これらは、人それぞれに違いがあり、ちょうど、医学の適用が、患者いかんで治療効果に差が出るように、不確実性科学の領域になるからである。それは科学者が挑戦しなければならない今後の課題である。素人にわかり易(やす)いのは、果糖の話である。果糖は砂糖と違って温度が下がると甘味を強く感じる。逆に上がると甘味度が下がる。果物を冷やして食べるのは賢明なのである。

 最後の章は、おいしすぎる料理の科学として、ステーキ、おにぎり、オムレツの三つが例示されている。いずれもチャーミングであるが、おにぎりに関連し、電気炊飯器の進歩が語られている。これは一読に値する。釜と薪(まき)で炊くのに近づけようとする努力である。

 冷凍技術の進歩に科学者がはたした役割と、切れる包丁の効用にもふれてほしかった。
    −−「今週の本棚:伊東光晴・評 『料理と科学のおいしい出会い−分子調理が食の常識を変える』=石川伸一・著」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140817ddm015070048000c.html





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