覚え書:「中野重治の戦後 鶴見太郎さんが選ぶ本 [文]鶴見太郎 (早稲田大学教授・日本近現代史)」、『朝日新聞』2014年08月10日(日)付。

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中野重治の戦後 鶴見太郎さんが選ぶ本
[文]鶴見太郎 (早稲田大学教授・日本近現代史)  [掲載]2014年08月10日

中野重治(1902〜79)=69年撮影

■過去を現在にどう生かすか
 まもなく戦後69年を迎える現在、現代史で参照するに足る思想とは、果たしてどのくらいあるだろうか。
 少なくともその指標のひとつに、戦中戦後という激変の時期、自身の体験を核に、自分なりの思考を続けた人物を掲げることは可能である。その一人に中野重治がいる。77年にわたる人生の中で、中野は何度も重大な問題に相対している。青年時代、プロレタリア文化運動の中で強い組織の規律が求められる一方、生活の中から立ち現れてくる「素朴さ」の重要性を認め、これを何にも代えがたいものと位置付けた。あるいは、翼賛運動下で国家による郷土再編がすすむ1930年代後半、これに包摂されない郷土の在り方を模索し、執筆する際、手がかりのひとつとした。

■深さ受け止める
 中野の生涯を貫いているのは、これらの問題を簡単に片付くものとは捉えなかったことである。戦後であっても、自分の直面した問題は形を変えながら、依然としてその影をとどめている−−戦時下に得た感触を中野は大切にした。『村の家・おじさんの話・歌のわかれ』は、そうした中野の出発点ともいうべき、34年に「転向」を経て出獄した後、静養中の故郷の家で体験した父親から受けた詰問を素材としている(「村の家」)。作家たることをやめて帰農を勧める説得の背後に、小さいながらも自分が守り続けた信念の一切を封じ込めてしまう「罠(わな)」を中野は直感し、抗弁の余地がないことを知りつつ、敢(あ)えて書き続ける道を選ぶ。その場で明確に答えを出すことは出来ない、しかしそこで像を結ぶ問題の深さを身をもって受け止め、考えようとする中野の姿は、何度も立ち返るべき思想史上の参照点である。
 石堂清倫『わが異端の昭和史』は、金沢で過ごした旧制高校時代から約60年にわたって中野と交流した著者の半生記であり、同時代への冷徹な叙述は、そのまま公正かつ優れた人物批評にもなっている。その時々の政治状況を的確に見据えることのできる著者は、時折感情が前面に出ることがあった中野とは異なる資質の持ち主であり、ともに運動に従事しながら、中野の抱えた問題もまた、冷静な視点から論じられる。刻一刻とせばまっていく30年代の言論空間にあって、そこで言論人・編集者として何が出来るかを考える著者の眼差(まなざ)しによって捉えられる尾崎秀実、柳田国男、そして河合栄治郎らの姿は、いずれも確固たる視座を持った群像として精彩を放つ。

■開かれていく眼
 松尾尊よし『中野重治訪問記』は、戦後の中野が強い信頼を寄せた近代史家による交友の記録である。この本の魅力は、30歳近く年少の著者に対して、中野が思想史上の先達、あるいは時代の証言者として多くの教示を与える一方、広い視野によって「大正デモクラシー」研究を積み上げていく著者との交流を通して、中野自身が過去の時代へと眼(め)が開かれていくところにある。
 著者によって発掘された資料を見ながら、大正期に模索された幾つもの民主的連帯の可能性を知り、ひるがえって当時の社会主義運動の「狭さ」を感じた中野が「あのとき、このようなやり方もあったと議論することは、今日にとっても必要なことだ」と自省をふくんだ口調で語る場面には、過去の経験を現在に向けてどう生かすか、という新たな主題が隠されている。

 ◇
つるみ・たろう 早稲田大学教授(日本近現代史) 65年生まれ。著書に『座談の思想』『柳田国男入門』など。
    −−「中野重治の戦後 鶴見太郎さんが選ぶ本 [文]鶴見太郎 (早稲田大学教授・日本近現代史)」、『朝日新聞』2014年08月10日(日)付。

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http://book.asahi.com/reviews/column/2014081000002.html





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