覚え書:「今週の本棚:渡辺保・評 『カッコウの呼び声 上・下』=ロバート・ガルブレイス著」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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今週の本棚:渡辺保・評 『カッコウの呼び声 上・下』=ロバート・ガルブレイス
毎日新聞 2014年08月17日 東京朝刊


 (講談社・各2052円)

 ◇謎解きは刑事や探偵でなく文体だ

 雪の降りしきる深夜のロンドン。プールやジムのある豪華な邸宅の立ちならぶ高級住宅地。その一軒の四階のバルコニーから一人の若く美しい黒人との混血女性が転落死した。その美しいブロンズ色の肌としなやかな肢体で世界的なスーパーモデル、ルーラ・ランドリー。

 一階は玄関ホールと警備員室。二階は映画製作者夫妻の住居。三階は空き室、四階が彼女のフラット。二階の妻が直前に男女の言い争う声を聞いたといい、警備員がトイレに行っていたというスキはあるものの外部からの侵入者の痕跡はない。密室同然。ことに二階の映画製作者夫人の証言は彼女がクスリをやっていたことからその証言の信憑(しんぴょう)性が疑われ、警察は事故死と断定した。

 ランドリーは、富裕なイギリス貴族夫婦の養子。二人の兄、そして彼女の三人兄妹。兄二人のうち一人は少年の頃事故死していて、今は弁護士の兄一人。その兄が妹の死は事故ではなくて殺人ではないかと疑って、私立探偵ストライクに調査を依頼する。

 ストライクがまた変わっている。有名な歌手の庶子。父との複雑な家庭の事情から軍隊に入って国連平和維持軍の一員としてクロアチアに参戦。さらにアフガニスタンで片足の膝下を失って除隊。今はピカデリー・サーカスの近くに事務所を構えているが、借金だらけで臨時雇いの女性ロビンと二人の探偵事務所。しかも縮れ毛の、ベートーベンを思わせる巨漢である。

 この人物像が面白い。

 由来、ミステリィは刑事にしろ探偵にしろ犯罪を捜査する人間が面白くなければならない。ルパンやシャーロック・ホームズはいうに及ばず、ヴァランダー刑事もフロスト警部三河町の半七も金田一耕助も、いずれも独特な人間たちである。ストライクもその例に漏れない。豪腕かつ冷静でありながら一方で繊細で優しい。イギリス人らしいプライドとユーモラスな性格の実に魅力的な人間である。

 ストライクだけではなく、ここに登場する人物たちは、いずれも異彩を放っている。

 ミステリィでもう一つ大事なのは文体。大抵のミステリィはどこか一カ所か二カ所は読んでいて飽きがくる。ところがこの本は上下二巻七一二頁(ページ)に及ぶ長編にもかかわらず飽きるところがどこにもなかった。文体の力である。たとえばランドリーの理解者であり、ファッションデザイナーのギー・ソメが、そのアトリエでストライクに会うシーンや、ランドリーの病床の養母レディ・ブリストウが彼に会うシーンは、ともに市民生活とは別世界でありながら、いかにもそれらしいリアリティに溢(あふ)れて圧巻。ギメも養母もこの長編中たった一回の登場にもかかわらず、さながら主人公に匹敵するかのごとき強い存在感を持っているのは、ひとえに文体の力である。その一点をとってもこれは一流の小説である。

 ミステリィだからむろん謎解きも大事。しかし人物の創造と文体の力がそれ以上に大事なのである。謎は刑事や探偵が解くのではなくて文体が解く。文体が読者を自然に人間や世界に近づけ謎を解いていく。

 ロンドンの町並み、その時間によって、場所によって変化していくさまも美しい。それもこの人の文体によって生きているのだ。

 ちなみに『カッコウの呼び声』という題は、カッコウという鳥がほかの鳥の巣に托卵(たくらん)し、育ててもらうところから来ている。その運命がランドリーとストライクの人生を象徴しているのだろう。(池田真紀子訳)
    −−「今週の本棚:渡辺保・評 『カッコウの呼び声 上・下』=ロバート・ガルブレイス著」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

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