覚え書:「今週の本棚・本と人:『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』 著者・進藤久美子さん」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

2_2


        • -

 
今週の本棚・本と人:『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』 著者・進藤久美子さん
毎日新聞 2014年08月17日 東京朝刊


 (法政大学出版局・1万260円)

 ◇「告発史観」で見落とされたもの−−進藤久美子(しんどう・くみこ)さん

 市川房枝(1893〜1981年)は日本の女性史で特筆大書される人物であり、歴史教科書にも登場する著名人だ。ところが「戦前・戦中・戦後の3世を生きた市川の本格的な評伝はありませんでした」。10年の歳月をかけ、本文550ページにおよぶ大著でその生涯に迫った。

 大日本帝国憲法下、女性には参政権がなかった。市川は1919年に「新婦人協会」を設立するなど、女性の政治的権利拡大のために奔走した。戦後は政界の浄化運動に尽力し、絶大な人気を誇った。

 一方で、戦時期に政府委員や政府の外郭団体の委員を歴任したことから戦後公職追放を受け、「戦争協力者」として厳しい指弾もされてきた。「戦時期の市川は、時代と社会におもねった現実主義者という負のイメージが定着している」という。

 専門はアメリカ史。「ジェンダー・ポリティックス」の研究を進める中で、市川の歴史的役割に注目した。だが「本格的な研究を始める前は、自分もそういうイメージを持っていました」

 市川は28万件に及ぶ膨大な資料を残した。研究を進めるにつれ「従来の研究はこれらの一次資料を十分に活用しなかった。国策委員として何をし、何を目指していたかも解明されないままで告発の俎上(そじょう)に載せられてしまった。そうした『告発史観』では見落としてしまうものが多い」と感じた。

 では戦前、市川は女性運動をどう牽引(けんいん)したのか。具体的な活動を一つ一つ掘り起こし、「当時の社会的な女性観や制度、ファシズムがはびこっていた時代背景のなかで、社会に受け入れられる活動領域を切り拓(ひら)いていった」姿を描く。

 礼賛だけではない。たとえば市川が戦後に至っても、満州事変の首謀者だった石原莞爾(かんじ)を高く評価したことについて、「アジアに対する侵略戦争という側面があったことに思いが至らなかった」と評す。

 市川は、戦時期に国策委員として働いた資料も残した。「廃棄してもおかしくなかったのに残したのは、自らの言動に自負があったことと、自分が歴史に語られることを、強く意識していたからでしょう」。没後33年にして、市川の基本研究書が完成した。もって瞑(めい)すべし、だろう。<文と写真・栗原俊雄>
    −−「今週の本棚・本と人:『市川房枝と「大東亜戦争」 フェミニストは戦争をどう生きたか』 著者・進藤久美子さん」、『毎日新聞』2014年08月17日(日)付。

        • -



http://mainichi.jp/shimen/news/20140817ddm015070026000c.html





Resize1889