覚え書:「今週の本棚:湯川豊・評 『屋根屋』=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2014年08月24日(日)付。

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今週の本棚:湯川豊・評 『屋根屋』=村田喜代子・著
毎日新聞 2014年08月24日 東京朝刊


 (講談社・1728円)

 ◇夢に物語の道筋つけ、別世界へ

 ちょっと類例を見ないような、楽しい小説である。どういうふうに楽しいのか、伝えるのが難しいのだけれど。

 雨漏りがするので、屋根屋を頼んだ。やってきたのは永瀬という屋根屋で、五十代半ばのがっしりした男。身長百八十センチ以上、禿頭(はげあたま)にタオルの鉢巻きという姿で、「屋根ごと担ぎ上げそうな男」である。

 依頼した「私」は四十代の専業主婦、夫は建設会社勤め、高一の息子が一人。「私」は永瀬屋根屋の、屋根に関するただならぬ蘊蓄(うんちく)をきくうちに、ひきずられるように屋根というものの面白さに惹(ひ)かれてゆく。ところが永瀬屋根屋は、とんでもない超能力の持ち主であることがわかる。夢の専門家で、好きな夢を見ることができるし、他人の、たとえば「私」の夢の中に入ってきて、一緒に夢を体験することができる。十数年前に妻をがんで亡くし、ショックで心療内科に通うようになり、やがて夢をコントロールできる超能力を身につけたらしい。

 そして「私」に夢の訓練をほどこし、最初は住んでいる北九州市に近い福岡の寺、ついで奈良の瑞花院(ずいげいん)を夢の中で「私」と一緒に訪ねる。なぜ瑞花院かといえば、この寺の屋根をふいた瓦師は寿三郎といい、瓦に自分が何者であるか書いているのが見つかっている。それが面白いからだ。「私」と永瀬は夜の寺の屋根に飛んでいって遊ぶのだが、そこにオレンジ色の火の玉のお化けが出てきたりする。永瀬の死んだ女房らしい。

 というふうに書くと、これは要するに「大人の童話」なんだな、と思われそうである。しかし私はそうはいいたくない。小説家のしたたかな想像力が大人の夢の話に物語の道筋をつけて、別の世界を見させてくれるのだ。それがこの小説の楽しさの核心にある。それを可能にするのは、村田喜代子氏に特有の変幻自在の文章力であろう。たとえば永瀬屋根屋の語る履歴を聞いて、「私」は思う。

 《日暮れの淋(さび)しい坂道を、夕日がころころとどこまでも落ちて行くような話である》

 こういう文章が二人で見る夢、いや「私」が見る夢に永瀬が入ってきて遊ぶ場面を、そのまま読者にも現実のように体験させてくれるのである。

 二人の夜の夢はさらに高じて、フランスに行ってノートルダム寺院、シャルトル、アミアンなどの大聖堂に遊ぶことになる。パリに着いたところから始まる夢の旅は、「私」と永瀬どっちのものなのか分明でなくなるのだが、夕暮れのノートルダム寺院の尖塔(せんとう)あたりを蝙蝠(こうもり)のように飛ぶ二人は美しい。

 二人が黒鳥になってシャルトル大聖堂に遊んだとき、永瀬は「ここでずっと暮らさんですか」とトツトツとした九州弁で「私」を口説いた。しかし、「私」はその魅力的な誘いをふり切って応じず、自宅の寝床の中で朝、目を覚ますことで、無事帰国する。このあたり、さらには帰国後になお続く二人のつきあいでは、夢と現実の境界がとれて入りまじり、不思議なことにそれにしたがって世界が切ないものになってゆく。しかし、二人の夢物語の結末は書かないでおこう。

 永瀬の口説きを受け入れて夢の中に残ったとしたら、二人はどうなるのだろう。そう考えると、夢に生きる永瀬という存在の無限の淋しさが迫ってくる。村
    −−「今週の本棚:湯川豊・評 『屋根屋』=村田喜代子・著」、『毎日新聞』2014年08月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140824ddm015070016000c.html





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