覚え書:「今週の本棚:村上陽一郎・評 『医療の選択』=桐野高明・著

毎日新聞 2014年08月24日(日)付。

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今週の本棚:村上陽一郎・評 『医療の選択』=桐野高明・著
毎日新聞 2014年08月24日 東京朝刊


 (岩波新書・842円)

 ◇医療の将来を考える絶好の書

 最近「熟議型意見調査」(DP)という手法が、話題になっている。前政権の終わりごろに、日本の将来のエネルギー戦略について、行われた実例もあるし、「遺伝子組み換え作物」(GMO)を巡るコンセンサス会議なども、その手法に依拠していた。通常の市民が、一つの問題を巡って、専門家の関与も含めながら、徹底討議をする。その結果が、政治的意思決定にも反映される。間接民主主義の補完としての直接民主主義的な意味を持つ。こうした場合、参加者は、当該の課題に関して「無知」というわけにはいかない。ある程度の基礎的な理解が求められることは自明だろう。

 では、例えば、少子化かつ超高齢化を迎えつつある日本の医療の将来像を巡って、熟議型の手法を活用するとしたら、そこへの参加者は、どの程度のことを理解していることが期待されるだろうか。

 本書では、まず日本の場合も含めて、主として先進諸国がこれまでに取り組んできた医療政策の得失が、きれいに整理される。日本が国民皆保険制度の導入に当たって、かつて模範になるとも言われた、イギリスの「国民保健サービス」(NHS)に関して、サッチャー政権下に行われた「改革」の負の結果も含めて、明晰(めいせき)に語られるし、これは我々も比較的耳にすることの多い、アメリカの医療制度についても、歯に衣(きぬ)着せずにその欠点が剔出(てきしゅつ)される。歴代の大統領が、何度か試みて、必ずしも十分な成功を収めてこなかった理由も、明らかにされる。

 また、医療従事者の間では広く知られた事実だが、一般の読者には、意外と思われるかもしれないのは、「社会主義国キューバの医療制度の「成功」が描かれている点だろう。その「成功」は、アメリカの専門家も認めている。

 こうして、様々な国々の実験結果は、確かに模範としても、あるいは他山の石の意味でも、参考になるが、結局は、普遍性を持つものではなく、日本社会は、これまでの実績と、今後の社会の諸要素の推移を見極めながら、日本社会に最も適した制度を選び取っていかなければならない。ここで「最も適した」と書いたが、「最適」のものがあり得るか、あるいは「最適」のものがあったとしても、それを選び得るか、という問題もある。まことに難しく、困難な問題であろう。

 日本の過去の実績で言えば、諸外国の目から眺めたとき、むしろ例外的な「成功例」として評価されている、ということを著者は見逃さない。例えば二〇一一年『ランセット』誌は日本の国民皆保険五十周年記念の特集を組んで、祝賀の意を表したし、二〇一〇年の『ニューズウィーク』誌は、医療の質、医療へのアクセス、一人あたりの医療コストなどを勘案して、日本の医療を世界でのトップに挙げた、というような事実は、むしろ日本社会に生きる我々にあまり知らされていない。患者側の我々としては、いろいろと不満を言い立てるが、本書で話題となっているような国々で、患者になってみたとき、初めてその恩恵を知ることになるのかもしれない。しかし、その過去から現在までと、今後とは、医療を取り巻く諸条件が、革命的に変わる。すでに我々はその変化の中にある。

 そのとき、我々はどのような選択をすべきなのか。

 最初に熟議型の手法を医療の問題に適用したら、という仮定形の表現をしたが、私は、それを適用すべき最大の課題の一つがまさに医療政策だと考えている。そして本書は、その際の絶好の基礎資料の一つとなるに違いない。 
    −−「今週の本棚:村上陽一郎・評 『医療の選択』=桐野高明・著
毎日新聞 2014年08月24日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140824ddm015070015000c.html





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医療の選択 (岩波新書)
桐野 高明
岩波書店
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