覚え書:「特集ワイド:孤高の木版漫画家・藤宮史さん、6畳間からの憂い」、『毎日新聞』2014年08月28日(木)付、夕刊。

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特集ワイド:孤高の木版漫画家・藤宮史さん、6畳間からの憂い
毎日新聞 2014年08月28日 東京夕刊

(写真キャプション)雑然とした6畳間で木版漫画に彩色している。「坂口安吾っぽいですかね」と藤宮さん

(写真キャプション)藤宮さんの木版漫画「セメント樽の中の手紙」

 ちょっと風変わりな木版漫画家がいる。藤宮史(ふじみやふひと)さん。もうすぐ50歳になるが、どん底の貧乏暮らし。でもカネまみれ、スピード優先の世に背を向け、魂を削るように人間の業に向き合った作品は温かい。ゆく夏の一日、この国の危うさを、孤高の漫画家と考えた。【鈴木琢磨

 ◇貧乏人は戦争やろうとは思わない 原発ひとつ止められない意志薄弱

 「ああ、どうも。ここにお客さんが来たの、10年ぶりかなあ」。東京は阿佐ケ谷の外れにあるアパート、ふすまが破れ、世界地図を張った6畳の居間兼アトリエで藤宮さんは笑っていた。紙パックの麦茶をいただきながら、インタビュー。「よくわからないけど、徴兵制がくるんじゃないかって気がするんです。貧乏人は戦争をやろうなんて思わない。決して。でも誰かが戦争を起こす。こんな貧乏人からも税金はくまなく取っていく。そんな感じで、引っ張られていくのかなあってね」

 いつだったか、ふらっとのぞいた西荻窪の古本屋に藤宮さんの作品がいくつか並んでいた。いまどき木版画とは珍しい、と手に取った私は驚いた。どれも20ページほどでふんわり軽いが、中身は軽くない。たとえば、戦前のプロレタリア作家、葉山嘉樹(よしき)の小説「セメント樽(だる)の中の手紙」を原作にした漫画。ダム工事現場で労働者がセメント樽を開けると、木箱が見つかり、女性の手紙が入っている。その手紙には破砕機で砕かれ、セメントになった恋人を思う哀切の文が−−。やるせないストーリーだが、版画はおだやかで、いい風合いである。

 「たぶん中学か高校の国語の教科書で読んだんです。ずっと引きずってて。底辺労働者への共感っていうか。僕は共産主義者でも、ましてや右翼でもありませんよ。ぐっときたものを版画にしたいだけなんで。どうして版画にするのか? ま、僕の感性に合うんですね。ゆっくり版木を彫って、1枚ずつ刷りあげていく、その手間のかかる作業でしか出せないカスレのある線が好きなんです。僕の人生もカスレてますよ。アハハ」

 そのカスレ人生はこんな具合だ。画家を志し、19歳で静岡県から上京、油絵をやったり、銅版画をやったり、額縁を背負って歩く路上パフォーマンスをやったり。しまいには骨董(こっとう)屋まで。どれもしっくりこない。たまたま同じ阿佐ケ谷の漫画家、故永島慎二さんの銅版画制作の助手を務めたことをきっかけに漫画の世界へ。木版画という古くて新しい手法で描いた叙情的な作品「黒猫堂商店の一夜」がイラストレーター、南伸坊さん(67)の目にとまり、第7回アックスマンガ新人賞南伸坊個人賞(2005年)を受賞する。南さんが言う。

 「普通の漫画でも描くのは大変なのに、それを木版画でやるんだからね。熱のようなものが表れているのがすごいなあ、と。漫画もコンピューターで描く時代だけど、あえて微妙なニュアンスのある木版画風を出そうとしているくらいですから。これから生き残っていける絵ですよ。それにどこまでも愛着のあるものを描く姿勢がいい。ビジネスとしての漫画じゃない。金銭的な成功を望んでないし」

 さて、オンボロアパートの藤宮さんである。「政治のことは知らないけど、僕の考えは、ここに書きました」。見せてくれたのは不定期刊の雑誌「幻燈」(北冬書房)に連載中のオリジナル漫画「或る押入れ頭男の話」。押し入れにこもっているうち異形の頭となった男がホームレス生活をしながら街をさまよう。男はこんなふうにつぶやく。

 <人間の社会は、そして全世界は、競争の世界であった。競争は言葉を代えれば戦争であり、殺戮(さつりく)であった。……私はあり得ない平和や共生の世界を夢みていた><公園のベンチは、ベンチのある土地は誰のものでもないということがわかる。……みんなが座りたいときに、空いていれば座り、空いていなければ座らない。でも、なぜ気軽に空いている家、部屋に住めないのだろう><こんなにたくさんの車が、こんなに速く走らなくとも、人々は幸せに暮らせるのではないだろうか>

 戦後69年続いた平和が壊れようとしている。集団的自衛権行使へと動き出して初めての8月15日、靖国神社は若者の姿も目立った。安倍晋三首相は平和をより強固にするためだと胸を張る。そしてしきりに成長戦略を口にする。右肩上がりの時代は去ったはずなのに。「ええ、それが幸せにつながるんですかね。憲法9条を思います。戦争放棄なんて地球初みたいな試みでしょ。平和のため、のらりくらり適当にかわしていく、100年たてば立派な文化遺産ですよ。原発だって、貧乏人の意見としては止めるべきなんだけど、やっていく方に傾いている人がいる。原発ひとつ止められない、なんと意志薄弱な国民なんですかねえ」

 つげ義春さんをほうふつさせる。現代の仙人のよう。1日2食。風呂はない。スマホはない。靴は10年履く。売れる当てもないが、ひたすらシュッシュシュッシュッ、木を削る音が響く。ちゃぶ台で1枚100円ほどのベニヤ板を彫り、小学生が使うバレンで刷っていく。たまに筆で色を入れる。「外出は近くの銭湯とスーパーぐらいです。飲み屋にも行かないし……」。夜遅く、パートナーのマキコさん(44)が事務のアルバイトから帰ってきた。「私の稼ぎがもっとよければいいんですが。支えてるっていうんじゃないんです。製本を手伝ったりして一緒に楽しんでいますから。うちの人を見ていると、私なんかも生きてていいのかなってふと思えて」

 小さな木の書棚には稲垣足穂(たるほ)をはじめ、太宰治檀一雄らの小説がびっしり。よく見れば、吉行エイスケらマイナーな作家の小説もある。そこに中森明菜のレコードが紛れ込んでいる。陰のあるアイドルが藤宮さんらしい。「ひょっとしたら、僕らは『戦前』を生きているんじゃないかって思わなくもないですね」。戦後の豊かさが崖っぷちにあるいま、繊細な作家のアンテナが新たな戦争を予感しているからなのか。「僕らは幸せでした。でも誰かの犠牲の上にある幸せだった。若い世代が貧しくて、この国がうまくいくはずはない。彼らが生きられなければ、だめですよ」

 気がつけば、2リットルのお茶がなくなっていた。これから、どんな仕事を? 「オリジナル作品も描いていきますが、ずっと気になっている芥川龍之介の『羅生門』や中島敦の『山月記』を漫画にしたい。もう少し売れてほしいですから、そろそろ僕の作品を置いてくれそうな画廊へ営業をかけなきゃいけないかなあと」。口ひげが照れた。

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 藤宮さんの作品に興味があれば、ぜひ「木版漫画集 黒猫堂商店の一夜」(青林工芸舎)を。大手書店などで取り扱っています。 
    −−「特集ワイド:孤高の木版漫画家・藤宮史さん、6畳間からの憂い」、『毎日新聞』2014年08月28日(木)付、夕刊。

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