覚え書:「今週の本棚:内田麻理香・評 『壊血病−医学の謎に挑んだ男たち』=スティーブン・R・バウン著」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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今週の本棚:内田麻理香・評 『壊血病−医学の謎に挑んだ男たち』=スティーブン・R・バウン著
毎日新聞 2014年09月14日 東京朝刊

 (国書刊行会・2700円)

 ◇船員二○○万人の命奪った「海の報復」の克服

 「健康と医学の博物館」が東京大学本郷キャンパス内にある。そこに行くと、人類の歴史は病気との闘いそのものだと痛感させられる。現在は、病は過去ほどの脅威ではない。しかし今でも新しい病気の名前が次々にニュースに登場する。これからも闘いは続くのだろう。本書は、大航海時代に、船上でおびただしい命(二○○万人超)を奪った壊血病とその克服の物語である。

 帆船時代の船員たちの環境は劣悪だった。保存技術が確立されていない状態で長期保存された食料は、腐敗し虫がたかり、食品と呼べる代物ではなかった。この基本的な船の「食事」は、ヨーロッパ諸国で数百年間ほとんど変わらなかったとのこと。

 英国海軍は、水兵を確保するため、一人で道を歩いている者を強制的に船に連れ込み、海軍に入隊させることもしていた。こうして集められた水夫たちは、身体のどこかが悪いか、栄養失調の者ばかりである。その船員は汚物にまみれ、害虫や有害動物が走り回り、暗く空気の淀(よど)んだ場に押し込められた。病気は治るどころか、蔓延(まんえん)する。一見、輝かしい列強諸国の大航海時代を支えていたのは、過酷な環境で労働させられていた船員たちだった。

 中でも、彼らを震え上がらせたのは壊血病の存在だった。一八世紀には、嵐、難破、戦闘を合わせた死者よりも、壊血病で命を落とした船員のほうが多かった。今でこそ壊血病は、栄養素ビタミンCの欠乏した状態が二、三カ月続くと発病するとわかっている。しかし当時は船員たちが罹患(りかん)して命を落とす場合がほとんどだったので「海で起きる症状」と認識されていた。

 この奇病の原因は何百年も見当がつかなかった。色々な説が出されたが、病人にとって最も酷(ひど)いのは「ものぐさと怠惰」が引き金だとする学者たちの説であろう。これは、壊血病の初期症状が脱力感と憂鬱であるため、因果関係が勘違いされたためである。この珍説のため、罹患した船員はさらに仕事量を増やされたこともあった。

 壊血病撲滅へ乗り出したのは、分析力と実行力に優れた英国の船医ジェームズ・リンドである。彼の船でも患者が出たが、リンドはこの患者たちに、臨床栄養学的に管理された医学史上初の実験をした。この臨床試験は、科学的な医療の先駆けになったことで有名である。この結果、壊血病が海で起きる症状ではなく「病気」としてようやく定義され、予防・治療への先鞭(せんべん)となった。

 続いて英国の誇る船長ジェームズ・クックが登場する。勇敢な冒険家、海軍士官のイメージが強いクックではあるが、同時に優れた科学的思考法の持ち主でもあった。彼には、新大陸の発見、天体観測、そして広範囲の抗壊血病剤について厳密に試すことが命じられた。約七年間極地を探検したクックは、一人の壊血病の死者も出さずに帰還した。王立協会からキャプテン・クックに与えられたメダルは、地理的でも軍事的業績でもなく、この医学上の成果に対してという事実は注目に値する。

 「ヨーロッパの海洋探検史・開拓史は壊血病の歴史であり、この病を免れた大遠征はないに等しい」と著者は語る。本書は壊血病がテーマの医学史としてだけでなく、海洋冒険譚(たん)でもある。危険に満ちた海に挑んだ彼らのおかげで、世界はつながり、さまざまな流通が可能になった。地球上で海は七割を占める。陸路だけではこうはいかない。しかし海の支配には壊血病という報復があった。私たちの今の生活は、この名もなき船員たちの犠牲の上で成り立っている。(中村哲也監修、小林政子訳)
    −−「今週の本棚:内田麻理香・評 『壊血病−医学の謎に挑んだ男たち』=スティーブン・R・バウン著」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140914ddm015070019000c.html





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壊血病 医学の謎に挑んだ男たち (希望の医療シリーズ)
スティーブン・R. バウン
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