覚え書:「今週の本棚:藻谷浩介・評 『アベノミクス批判−四本の矢を折る』=伊東光晴・著」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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今週の本棚:藻谷浩介・評 『アベノミクス批判−四本の矢を折る』=伊東光晴・著
毎日新聞 2014年09月14日 東京朝刊

 (岩波書店・1836円)

 ◇若者よ、集団幻想抜け事実を語ろう

 「誰の知的影響も受けていないと信じている実務家でさえ、誰かしら過去の経済学者の奴隷であるのが通例である。虚空の声を聞く権力の座の狂人も、数年前のある学者先生から(自分に見合った)狂気を抽(ひ)き出している」

 これは、掲題書の74頁(ページ)に引用されたケインズの言だ。書かれたのは1936年だが、今や問題はさらに大衆化し拡散している。

 ここ10年ほどの日本での、「リフレ論」(極端な金融緩和によって、日本経済はデフレを脱却し成長軌道に乗るという論)の流行は典型だ。学問的にも実証的にも根拠薄弱なこの「理論」を信じる向きは、政治、文化、経済、マスコミ、ネットなどの各界で年々増殖。その強固な信者となった安倍晋三氏が首相の座に返り咲くと、彼らの熱狂は沸騰した。

 大多数の政治家や経済人や学者は、リフレ論を信じるほどナイーブではない。それでも批判を口にしないのは、金融緩和という「第一の矢」に、いつのまにか第二の矢(公共投資増強)と第三の矢(成長戦略)が加わったからだ。守旧派は第二の矢に飛びつき、構造改革派は第三の矢に期待を寄せて、いずれも大政に翼賛する。そこに、「中韓と毅然(きぜん)と対峙(たいじ)して国益を守る姿勢の安倍首相だから、支持しよう」と、経済学には不案内な大衆の賛同が結びつく。

 以来1年9カ月。「異次元の金融緩和」によって、マネタリーベース(出回っている日本円の量)は、今年8月末で243兆円と、政権発足前の約2倍に増やされた。バブル当時の90年の6倍もの水準だ。それで経済の現場の何が変わったか。

 掲題書は、アベノミクスがどのように無効であるかを、簡潔かつ明晰(めいせき)に分析する。第一の矢はもちろん、第二の矢も第三の矢も機能していないことを、理論面からだけではなく、最新の現場の数字を示すことで、有無を言わさず理解させてくれる。鋭くスピーディーな論述は、まるで40代の気鋭の学者の手になるもののようだが、その背景にある知識と経験は、戦後生まれ世代の比ではない。著者は今月に87歳となられた、日本経済学界の最重鎮なのだ。

 たとえば「円安で株が上がった」というが、円安の進行は日銀正副総裁の交代直後の昨年5月、マネタリーベースがまだ159兆円の時点で急に止まった。株価も同時期に一直線の上げを終え、乱高下局面に入った。金融緩和は急に利かなくなったのではなく、最初から利いてはいないのだ。では政権発足前後半年間の上げ潮相場の理由は何か? ぜひこの本で市場経済の現場の、身も蓋(ふた)もない現実を学んでいただきたい。

 それでも「デフレ脱却」と煽(あお)る声は大きいが、物価が上昇に転じた2013年の小売販売額は139兆円。12年の138兆円と変わらず、国民や中小零細企業の大多数は、経費がかさむばかりで恩恵の実感はない。他方で三本の矢の陰から放たれた「第四の矢」、すなわちナショナリズムを煽り戦後政治のリベラル路線を終焉(しゅうえん)させる戦略だけが、粛々と進行している。今に似た戦前の空気と、その後の戦争の惨禍を身をもって経験した世代である著者は、これに渾身(こんしん)の憂慮を表明する。

 評者も懺悔(ざんげ)しなければならない。心筋梗塞(こうそく)で生死の境をさまよう経験をされながら、命を削って発信を続ける著者の思いに、力足らずの後進のはしくれとして、よく応えられていないことを。若者よ、集団幻想を抜け出し、勇気を持って事実を語ろう。若ければ若いほど、真珠湾攻撃にも似て出口戦略のない無謀な金融緩和の、頓挫した後の世界を生きていく時間は長いのだから。
    −−「今週の本棚:藻谷浩介・評 『アベノミクス批判−四本の矢を折る』=伊東光晴・著」、『毎日新聞』2014年09月14日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140914ddm015070011000c.html





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アベノミクス批判――四本の矢を折る
伊東 光晴
岩波書店
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