病院日記:「見守り」ということ

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4月に神経内科から精神科へ移動して、多くなったのが「見守り」という仕事です。

要は患者さんが、誤って転倒したりしないように、食事中なんかも見守る訳です。パターナリズムの「悪性」は承知しておりますが、それでもそれを「巨悪」を見つけたが如くに全否定しようとは思わないけど、やはり見守る「眼差し」には、ある種の権力性…例えばそれは「警官」の眼差し…が潜在することには気がつき、驚いています。

現実に、四股不自由な方が誤って転倒することを未然に防ぐことには吝かではありません。

しかしその延長線上に「警ら」の眼差しが存在する訳ですよね。

だから全否定しろとっいていも、現実の日常生活の遂行において「どうすんの?」って話になるから「敬遠」するほかありません。

言い換えれば、パターナリズムを行使しつつも常にその自分の立ち位置への「自覚」が必要で、その翠点が喪失され、何ら反省のない「業務」になると終わりだよな、という話です。

( なので、「見守り」の時は腕組みだけは絶対にしない。 )


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