覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『エウロペアナ』=パトリク・オウジェドニーク著」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『エウロペアナ』=パトリク・オウジェドニーク著
毎日新聞 2014年09月21日 東京朝刊

 (白水社・2052円)

 ◇チェコ作家の奇抜なヨーロッパ二〇世紀史

 これまで小説と呼ばれるものはかなりたくさん読んできて、たいていの主題は書きつくされ、目新しい手法ももうネタが尽きているのではないか、などと時折思いもするのだが、なんだか見たこともない種類の不思議な小説が新たに出た。現代チェコの気鋭の作家オウジェドニークによる『エウロペアナ』という本だ。本当に、こんな小説は読んだことがない。そもそも「小説」と呼んでいいものなのか。サブタイトルは「二〇世紀史概説」とあり、むしろ歴史書のようにも見える。本文の欄外には、参考書か概説書風に、重要な事項を表すキーワードが小見出しのように添えられている。

 ちなみにタイトルは、本文中には説明がないが、「ヨーロッパに関する物事、風物あれこれ」くらいの意味だろう。じつは欧州連合が運営する、ヨーロッパの文化遺産を統合的に収集した電子図書館でまったく同名のものがあるが、この小説はそれよりも早く、二〇世紀が終わった直後の二〇〇一年に出版され、国際的に大きな反響を呼び、すでに二〇言語以上に翻訳されているという。

 ヨーロッパと一口に言っても長い歴史を持つ多様な民族や文化の集合体である。その全体を一望のもとに収めるのは並大抵のことではない。一人の著者がその力業に挑戦した例としては、イギリスの歴史家ノーマン・デイヴィスによる『ヨーロッパ』という通史があるが、これはもともと英語では一冊の形で出版されているとはいえ、邦訳(共同通信社)では全四巻、桁外れの規模のものである。それに比べて、オウジェドニークの本の際だった特徴は、その短さにある。時代を二〇世紀に限定しているおかげでもあるが、邦訳で約一四〇ページしかない。

 いったいこの薄さでヨーロッパの二〇世紀について何が語れるのか。著者の典型的な手法は、第一次世界大戦の死者の数をめぐる、こんな記述に表れている。「戦死者の平均身長を一七二センチとして換算すると、フランス兵の犠牲者は全体で二六八一キロ(中略)になり、世界中で戦死したすべての兵士」を継ぎたすと「一万五五〇八キロの長さ」となる。どのくらい正確な情報であるかは別として(実際、本書には史実と文学的な奇想が入り交じっている)、こういう物の見方が新鮮なのは、生きているときは垂直に立っている人間を「長さ」、つまり水平的な広がりでとらえているからだろう。これは、文学は一人の人間の魂の深さを垂直に探ろうとするものだという、言わば正統的な文学観に真っ向から対立するものだろう。

 実際、本書では、じつに様々なテーマが二〇世紀というキャンバスの上に並べられているが、その提示の仕方は決して編年体のシステマティックなものではなく、時代も国も自由に飛び越えながらトピックからトピックへと激しい横の運動が繰り広げられている。だから当然、本書には「あらすじ」と呼べるようなものはない。欄外の小見出しを拾ってみても、「行進曲」「ドイツ人が毒ガスを発明」「実証主義」「ヴァーチャル・リアリティ」「人間という存在としての女性」「世界の終焉(しゅうえん)」「電気は何の役に立つのか」「ブラジャーの考案」「地下水の水位が下がる」(人間の水使用量が飛躍的に増えたせいである)、「セックスしたがる若者たち」「人間はサルにすぎない」「女性の寿命は長い」、等々。その中でも比重が大きいのは、やはり戦争、強制収容所とジェノサイド(大量虐殺)、全体主義共産主義、終末論といった重苦しい話題で、その中で披露される様々な細部には耐えがたいほどおぞましいものも多いのだが、著者は悲劇の深みに足を取られることなく、何食わぬ顔で、バービー人形や性風俗といった話題に横滑りしていく。あたかもそういう態度自体が、歴史に対する解毒剤であるとほのめかすように。

 記述の際に、様々な異なった立場を並列的にあげ、透明な語り手が自分の意見を一方的に押しつけないというのも、「小説」としての本書の際だった特徴だろう。たとえばアメリカによる原爆の投下は「無用な蛮行」であると考える多くの人たちがいる一方で、アメリカが投下しなくても、どこか別の国がどっちみち投下していたに違いないと考える人もいる。ドイツ人がフランス人を「虫好き」と呼べば、フランス人はドイツ人を「キャベツ頭」とののしる、といった具合だ。

 このような相対主義アイロニーは、私にはやはり苦難の歴史を経てきたヨーロッパの小国、チェコの作家ならではのものではないかと思える。戦争、虐殺、宗教、世界の終末といった問題についてさえ、人間は意見を一致させることができず二〇世紀を過ごし、過去にちっとも学ぶことがなかった。その歴史について大げさな身振(みぶ)りで慨嘆することなく、恐ろしさの表層に踏みとどまって面白がりさえもすること。これはやはり歴史や哲学ではなく、まぎれもない文学である。しかも中欧の作家にしか書けないような。(阿部賢一、篠原琢訳)
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『エウロペアナ』=パトリク・オウジェドニーク著」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140921ddm015070054000c.html





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