覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『黒ヶ丘の上で』=ブルース・チャトウィン著」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『黒ヶ丘の上で』=ブルース・チャトウィン
毎日新聞 2014年09月21日 東京朝刊

 (みすず書房・3996円)

 ◇時が止まった農場の双子兄弟の百年

 寡黙と饒舌(じょうぜつ)がまじりあい、嘘(うそ)と本当の入り乱れる全体がひとつの誠実さをつくりだす、分類不能の書き手、ブルース・チャトウィン。十八歳でサザビーズに入社してたちまち頭角をあらわし、印象派部門の競売を取りしきるようになったこの美術の目利きは、しかしあるときすべてを投げ捨てて、南米パタゴニアに旅立った。

 一九七七年、三十七歳のとき、その旅に取材した『パタゴニア』を発表して一躍注目を浴びると、一九八〇年の第二作『ウィダの総督』で早くもその評価を確かなものとする。前者は祖母の家で見た恐竜の皮の化石を夢想の端緒として、パタゴニアの地誌、歴史、人々の横顔に日記を混ぜ込んだ紀行文。後者はブラジル生まれの奴隷貿易商の人生を追いながら、評伝と虚構のあいまを進む散文。いずれも特定のジャンルには収まらない独特の世界で、彼はこの二作をもって《旅》の作家と見なされるようになった。

 本書『黒ヶ丘の上で』は、一九八二年に刊行された第三作である。小説の体裁をとっているのは、外から貼られたレッテルを剥がしておきたかったからだろう。舞台に選ばれたのは、イングランドウェールズの境界に位置し、時代から取り残されたような、あるいは時代の流れに乗ることを拒んでいるような農村地帯だ。チャトウィンは簡潔な筆でこう語り出す。

 「過去四十二年間、ルイスとベンジャミンのジョーンズ兄弟は、ひとつの寝台を使い続けてきた。ふたりが並んで眠るその寝台は両親から受け継いだもので、住まいの農場は<面影(ザ・ヴィジョン)>という屋号で知られている」

 兄弟は双子で、ルイスが兄、ベンジャミンが弟である。寝台は一八九九年に母が結婚したときの嫁入り道具で、彼らは母の死後、まるで夫婦のようにそこで寄り添ってきた。食堂を兼ねた居間も、母とのたのしい思い出を壊さないために、模様替えしていない。時が止まったこの空間で、彼らは確実に老いていく。屋号のヴィジョンという言葉は、複数になれば幻になり、未来を見透(みすか)す絵図にもなる。農場の名には、過去と未来と、その中間にふわりとただよう現在の、三つの位相が同居しているのだ。

 独身を通してきた彼らはいま八十歳を迎え、妹の孫息子に農地を相続させようとしている。物語はそこから、両親の結婚、彼らの誕生、妹の誕生とのちの出奔、隣の農地、通称<岩>との領地争い、農業共進会の催し、単純にして複雑な人間関係の綾(あや)のなかで起こる恋愛沙汰と殺人事件など、過去の出来事がチャトウィンならではの語り口で描き出される。

 中心にいるのは、互いになにを考え、なにを感じているのかすぐに察知できる双子だ。第一次世界大戦に徴兵された弟が兵営で上官から暴力をふるわれていると、兄はおなじ痛みを感じる。黙ったままで喧嘩(けんか)もできる彼らは、仲のよくなかった両親とちがって、兄弟でもあり夫婦でもあるかのように生きている。

 ふたつの大戦をまたぐ彼らの一生のなかで、チャトウィンが駆使する時空の出し入れには、家のなかのオブジェや植物などの細部に対する眼差(まなざ)しと、色や匂いをとらえる鋭敏な感覚、そして構築を拒むやわらかさがある。百年の時の流れを扱っていながら滔々(とうとう)たる大河の姿はどこにもない。むしろ谷間の穏やかな小川が照り返す光をながめているうち、いつのまにか時が経(た)ってしまったという印象なのだ。飛び石づたいに再生される他者の過去をそっくり自分のものにしてしまうチャトウィンの手品を味わいたい。(栩木(とちぎ)伸明訳) 
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『黒ヶ丘の上で』=ブルース・チャトウィン著」、『毎日新聞』2014年09月21日(日)付。

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