覚え書:「今週の本棚:富山太佳夫・評 『英語化する世界、世界化する英語』=ヘンリー・ヒッチングズ著」、『毎日新聞』2014年09月28(日)付。

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今週の本棚:富山太佳夫・評 『英語化する世界、世界化する英語』=ヘンリー・ヒッチングズ著
毎日新聞 2014年09月28日 東京朝刊


 
 (みすず書房・6696円)

 ◇過去から未来へ、博識の詰まった大著

 英語の歴史にまつわるさまざまの問題を論じた大著である−−上下二段組、三六○頁(ページ)、全二八章ということなので、そう言うしかないであろう。

 とても全部を紹介できるような本ではないので、幾つかの章のタイトルを書き抜いてみることにする。「生存機械、言語の力と英語への闘い」「よい英語の多くの利点、文法の改革と十八世紀的正しい用法」「国の由来、言語、アイデンティティー、葛藤」「『君が見えるように話しなさい』、方言とアクセントについて」「どうしようもない今の時代、言葉の『現状』と向き合う」「とんでもないくそ野郎、検閲と卑猥(ひわい)さ」「『ここでは英語だけです』、問題ありのハイフン」「『英語を征服して中国を強くしよう』、英語の国際化」等々。多少なりともあきれたくなるタイトルであるけれども、各章ともきちんとしたデータやとても珍しい文献が駆使されている学術書でもある。われわれの国ではあまり眼にすることのない本だ。となると、私としても、四割強はニヤニヤしながら真面目に紹介するしかないことになる。

 まずは、英語の歴史について。「英語の起源は五世紀にイギリスに移住してきたゲルマン人の移民がもたらした言語にある。……それがブリテン島でそれまで話されていたケルト語をほとんど消滅させてしまった」。そして、「英語の標準的な書き言葉の発達は一三○○年から一八○○年の期間にわたっており、一四○○年から一六六○年の間にほとんどのことが起きている」。そして、こんな歴史的事実まで紹介されているのだ。「一三○○年、イギリスではフランス語が行政の言葉だった……一四二○年頃から政府が書く英語の標準形を人為的に開発した」とも指摘されている。

 もちろん文学作品で使われた英語の話も出てきて、「チョーサーの作品に使われた方言はロンドン英語だった」と言われている。かと思うと、その三○○年後に、「ニュートンは『プリンキピア』(一六八七)をラテン語で書いたが、『光学』(一七○四)は英語で書いた」。他にも興味深いエピソードが次から次へと紹介されて、純粋にあきれかえってしまうしかない。

 そして、一八世紀、ジョンソン博士の『英語辞典』(一七五五)の時代となる。ところが、「これより遡(さかのぼ)ること百五十年の間に英語の辞書はあった」というのだ。しかも、「一七五○年代から、文法書だけではなく、辞書、綴(つづ)りの本、言語論が洪水のようにあらわれ、また同時に習字の手引きや手紙の書き方」の本も登場していたというのである。こうした記述を読んでいるうちに、この本が政治史や社会経済史とは違う歴史の重要な本であることが分かってくる。有名な作品だけをならべた文学史だけにのめり込んでいてもどうにもならないことを、実感させられる。

 それと同時に、ディケンズが「ロンドンの普通の民衆の日常会話をとらえる器用さ」に改めて感心し直すことになる。こうした研究書を読むときには、確かにその主張をしかるべく理解するというのも礼儀作法かもしれないが、その一方で、脱線的な刺激を受けるというのも読者の特権かもしれない。この本は、そんなことまで考えるように誘ってくれる。

 その例のひとつ。「ヴィクトリア時代のレディーにとって、重要な関心事は声だった。……『ジェイン・エア』(一八四七)はヴィクトリア女王が夫のアルバート公の前で朗読した小説のひとつだ」。どの部分を朗読したのか、私には推測できる。

 この本の第九章は、「おお、わたしのアメリカ、新しく見つけた土地よ! トマス・ペインから朝食のシリアルまで」となっている。それは、英語という言語が今直面する問題に眼を向ける歴史的な契機を示唆することにもなる。今、われわれの前にあるのはイギリス英語だけでなく、アメリカ英語でもあるのだ−−いや、こんな言い方、考え方自体が単純すぎて、妥当性を欠いているかもしれない。第二五章「『英語を征服して中国を強くしよう』、英語の国際化」には、これからの時代と関係してくるはずの次のような指摘が含まれているのだ。「こんにちでは世界の補助的な言語は、人工言語ではなく英語だ。英語を第二言語として使っている人は英語を母語とする人より多い」。「アメリカ合衆国を含めて他のどの国よりも、インドでは英語を使っている人のほうが多い。……中国でも英語を学んでいる学生の数は急増している」。そうした事実を念頭に置きながら、著者は次のようにも述べる。「二十一世紀になると支配的な世界語としての英語の地位が挑戦を受けるようになる。主たる挑戦者はスペイン語と中国の北京語となりそうだ」

 勿論(もちろん)、使用者の数の多少によってすべて決着するわけではないだろう。しかし、それでは、われわれのこの国はどうするのだろうか。この本を読みながら、そんなことまで考えてしまう。(田中京子訳)
    −−「今週の本棚:富山太佳夫・評 『英語化する世界、世界化する英語』=ヘンリー・ヒッチングズ著」、『毎日新聞』2014年09月28(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20140928ddm015070020000c.html






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ヘンリー・ヒッチングズ
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