覚え書:「書評:グローバリズムという病 平川 克美 著」、『東京新聞』2014年10月26日(日)付。

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グローバリズムという病 平川 克美 著

2014年10月26日

◆国民経済が収奪の犠牲に
[評者]宗近真一郎=批評家
 グローバリズムを批判する言説の大半はアメリカ批判に連関する。
 本書でも、階層化と貧困の拡大という足下の状況に即してグローバリズムアメリカ発のイデオロギーであり、右肩上がりの成長が終わりつつある先進国の現実から遊離し、超国家主義や自己責任論を誘導、多国籍企業を利して収奪的なシステムをつくりあげていることを明快に批判する。また、重商主義新自由主義として復古する局面、国民経済よりも多国籍企業を優先し、特定秘密保護法を強権的に意思決定した安倍政権に異議を呈す。
 だが、それだけではない。著者は「始まったものは必ず終わる」というミュージシャンの故大瀧詠一の言葉を何度か引く。十七世紀後半に国民国家に相次いで生まれた株式会社は、やがて、膨張が止まった国家とともにローカルで剰余がない定常経済において、本来なら「終わる」はずであると言うのである。想像の産物である国民国家と株式会社がともに消滅した後、路地裏の原風景が回帰する。「人間というのは本来的にローカルな存在である」という独自のモチーフが現れる。
 一方、九章と終章にかけて、グローバリズムの本丸であるアメリカと日本との戦後の関係が体験的にたどられる。日本の権威主義的な伝統的家族構造が戦後の短期間に欧米型の核家族に転換した背景をめぐって著者は、「八〇年代半ば以降の日米関係をたどれば、アメリカが日本社会のローカルな構造を日本の産業力の源泉とみて、これを潰(つぶ)しにかかったことが見てとれる」と抉(えぐ)り出す。グローバリズムが強迫観念と化している事態は、自らのローカリティを知らず棄損(きそん)する日本における、戦後の終わらなさ、つまり、敗戦が継続する姿にほかならない。
 グローバリズムが日本では、終わらない戦後、短期的な経済合理性の制圧として現れること。グローバリズムもまた、戦後日本という慢性的な「病」の症状であることが痛覚される。
 (東洋経済新報社・1620円)
<ひらかわ・かつみ> 1950年生まれ。評論家。著書『経済成長という病』など。
◆もう1冊 
 エマニュエル・トッド著『経済幻想』(平野泰朗訳・藤原書店)。経済・政治・文化などが絡み合うグローバリズムを批判的に分析。
    −−「書評:グローバリズムという病 平川 克美 著」、『東京新聞』2014年10月26日(日)付。

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http://www.tokyo-np.co.jp/article/book/shohyo/list/CK2014102602000175.html





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平川 克美
東洋経済新報社
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