覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『イチョウ 奇跡の2億年史−生き残った最古の樹木の物語』=ピーター・クレイン著」、『毎日新聞』2014年11月02日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『イチョウ 奇跡の2億年史−生き残った最古の樹木の物語』=ピーター・クレイン著
毎日新聞 2014年11月02日 東京朝刊
 
 (河出書房新社・3780円)

 ◇波瀾万丈の歴史と文化をひもとく「大鑑」

 イチョウが美しい季節である。その黄金色を毎年楽しんでいたつもりだが、「イチョウの木々は不気味なほどいっせいに葉を落とす」そうだ。改めて、よく見ておこう。

 独特の姿と並木の美しさ、巨木の威厳も含めて、イチョウは私たちに近しい存在だ。世界中で、街路樹の代表。日本では数十もの自治体の木に指定されている。全国に散在する巨木は、古くから大切にされてきた。……とはいえ、日ごろ親しんでいるようでいて、私たちはイチョウのことを知らない。本書でそれを思い知らされた。いやこの本はそれ以上で、イチョウ自体の話はもちろん、その波瀾(はらん)万丈の歴史をひもとき、イチョウの現在に日本と中国が深くかかわったことを語り、イチョウを取り巻く歴史や文化にもまんべんなく触れてゆく。植物学の研究でサーの称号を受けたイギリスの大御所が樹木とイチョウへの愛情を注いで書き上げた、「イチョウ大鑑」である。

 イチョウは、枝ぶりも独特だ。長く曲がりくねって伸びた太枝と、無数に絡み合って葉を付けた細枝とのアンバランス。この「アンバランス」はイチョウ独特の枝の伸ばし方から来ることを、本書で納得した。葉も、変わっている。その形だけでなく、葉脈はまっすぐ伸びて、隣り合う葉脈とネットワークを作らない。加えて、雌雄異株(いしゅ)という有名な特徴。それに銀杏(ぎんなん)の実の、独特という以上のあの臭い。

 イチョウは二億四千万年前に起源を持つ、最古の種子植物の一つだ。数千万年前までは、世界中の温暖な気候帯で栄えた。独特さの原因はまず、生物種としてのこの古さにある。しかし二百万年前ころ、ほぼ絶滅。原因は寒冷化と、それに続く氷河期らしい。実を食べて種子を運んでくれる動物種の絶滅がイチョウ衰退の要因になったという可能性も、あるそうな。あの実の臭いとも関係があるのかな。

 だがイチョウは、もちまえの強靱(きょうじん)さと復元力でなんとか生き延びた。現存のイチョウはすべて、中国の山奥(重慶の金佛山?)に細々と残った野生種の子孫だ。恐竜の時代に現れた多様な近縁種は、みな絶滅した。だからイチョウは、他に例を見ない孤高の植物なのだ。

 イチョウの冒険は、さらに続く。中国王朝で薬・食用として見いだされ、そのため農家で栽培されて広がった。大樹となるから仏教寺院にも植えられ、尊敬された。日本に渡ったのは平安末期以降、十三−十四世紀だろうという。ということは……公暁が隠れて将軍実朝を暗殺したという鶴岡八幡宮の大銀杏(おおいちょう)は、その頃はまだなかった! 日本に樹齢千年というイチョウはないはず。うーむ、そうなのか。

 イチョウが近代西欧の植物学者の目に触れたのは、日本からである。長崎にやってきたケンペル、シーボルトが活躍する。種子植物であるイチョウ精子があり、泳いで受精するという平瀬作五郎の大発見(明治二十九年)も、彩り豊かに語られる。中国や日本の伝説・古記録、ヨーロッパに広まっていったイチョウの物語、銀杏の食べ方あれこれと、うんちくは尽きない。

 著者は、生物多様性保全条約(CBD)は極端な自然保護主義国家主義によって「利益と商品化ばかりを重視する狭量な国際協定」になってしまったという。著者が説くように、樹木が持つ長い時間の尺度で考えることが、現代の私たちには確かに必要だろう。

 一般向けに書かれた本だが、膨大な文献と注釈を含め、樹木とその研究を知りたい学生や先生にも大いに役立ちそうだ。(矢野真千子訳)
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『イチョウ 奇跡の2億年史−生き残った最古の樹木の物語』=ピーター・クレイン著」、『毎日新聞』2014年11月02日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141102ddm015070022000c.html






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