覚え書:「今週の本棚:養老孟司・評 『理不尽な進化−遺伝子と運のあいだ』=吉川浩満・著」、『毎日新聞』2014年11月09日(日)付。
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今週の本棚:養老孟司・評 『理不尽な進化−遺伝子と運のあいだ』=吉川浩満・著
毎日新聞 2014年11月09日 東京朝刊
(朝日出版社・2376円)
◇絶滅も歴史のうち「自然淘汰」超える哲学
私たちは進化論が大好き。著者はそう書き出す。私も進化論が好きで、高校生の頃から進化の本を読み漁(あさ)った。懐かしい。自分にもそういう時代があったなあ。そう思って読み始めたら、アレッだまされたかな、と思う。でも面白いから読み続けて、とうとう全部読み終えてしまった。疲れた。なぜって立派な哲学書を読まされてしまったからである。
序章から第一章の中心は理不尽について、である。生物の進化や法則というけれど、じつは絶滅した種が九九・九パーセントを占める。恐竜が典型である。巨大隕石(いんせき)が落ちて環境が激変し、いなくなった。では、絶滅の方から進化を眺めたらどうなるのだろうか。ここは終章への伏線にもなっている。
第二章は進化論の俗流理解を扱う。自然淘汰(とうた)あるいは適者生存とはどういう意味か。どう理解すればいいのか。「最適者生存なら、世界はどうしてヒトだけにならないんですか」。その種の質問をする人は、ここをよく読んだ方がいいかもしれない。
第三章は進化論者の近年の大立者二人の対立を扱う。スティーヴン・ジェイ・グールドとリチャード・ドーキンスである。そんな人、どっちも知らないよ。そういう人にはちょっと向かないかもしれないが、それでも著者の主旨はわかると思う。この章で確定されるのは、二人の論争はドーキンスの勝ちだったというものである。さらにダニエル・デネットのダメ押しが加えられる。
終章がいわば本番になる。ドーキンスの勝ちというが、それで終わりにしていいのだろうか。グールドが死ぬまで頑張り続けた理由がなにか別にあったのではないだろうか。生物が最適な戦略をとっていることは間違いない。それは多くの実例が示す。しかしその説明に問題はないか。現在生物が示す状況がいかによく環境に適応しているか、という説明を続けるなら、そこには過去つまり歴史がない。古生物学者でもあったグールドが歴史性にこだわるのは当然である。絶滅もその一つといっていいであろう。しかも現代進化論を支える大きな柱は二本あって、一つは自然淘汰だが、もう一つは系統樹すなわち歴史なのである。この先は実際に本を読んでいただくのが一番であろう。ぜひ読んでくださいね。
現代医学では患者は検査結果の集合として把握される。その検査結果を正常値に戻す。それがいまの医師の仕事である。患者としてのあなたは、それで満足するだろうか。病気を治してくれりゃいいんだよ。そういう患者がほとんどかもしれないが。
でもこういう例がある。ある患者が尿が出なくなって入院した。原因は頸椎(けいつい)にあり、それを矯正して排尿が可能になった。患者は現代医学の能力にいたく感銘を受けていた。しかし私とその話をしてからしばらく経(た)って、あっ、あれだ、と叫んだ。本人はじつは特攻に出ることが決まっていたが、終戦となり機会を失した。それで戦後、二度首を吊(つ)って死のうとしたが失敗した。その古傷が原因だと気づいたのである。上山春平氏である。
進化論の面白さはどこにあるか、なぜそれが専門家の間でも極端な論争を呼ぶのか、本書はそこをみごとに説明する。近代の欧米思想史にもなっている。著者は自分の本の書き方は自分で掘った穴を自分でまた埋め戻しているようなものだと謙遜する。でも私は近年ここまでよくできた思想史を読んだ覚えがない。人文社会学の分野には近年良い著作が出る。個人的にそう感じる。経済だけではなく、日本社会は変わりつつあるのではないか。
−−「今週の本棚:養老孟司・評 『理不尽な進化−遺伝子と運のあいだ』=吉川浩満・著」、『毎日新聞』2014年11月09日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20141109ddm015070016000c.html