覚え書:「今週の本棚:川本三郎・評 『吉田健一』=長谷川郁夫・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。

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今週の本棚:川本三郎・評 『吉田健一』=長谷川郁夫・著
毎日新聞 2014年11月23日 東京朝刊
 
 (新潮社・5400円)

 ◇詳細な暮らしぶりから描いた作家像

 酒をよく飲んだ。またよく食べた。時折りケケケと奇声を発して笑った。身体をくねくねと動かした。

 文学者の評伝には、その作品を重視するものと、伝記的事実にこだわるものとがあるが本書は後者。そんなことが文学作品となんの関係があるのかと驚くほど細かい伝記的事実を積み重ねている。その結果、六百ページを超えるぶ厚い大著になった。

 吉田健一(一九一二−一九七七)は英文学者、翻訳家、批評家、作家。よく知られているように父親は戦後を代表する政治家、吉田茂。母方の曽祖父は明治の元勲、大久保利通。名門の出でありながら文学の道を選んだ。変わっている。しばしば見られた奇矯な振舞いは、やつし(、、、)の思いからかもしれない。

 昭和のはじめ、銀座に「はせ川」という酒亭があり、文学者がよく集まった。中原中也三好達治横光利一、さらに小林秀雄青山二郎永井龍男らが現われ、酒の席は熱い文学談義の場となった。酒中に文学あり。酒と文学が切り離せない関係にあった時代である。

 ケンブリッジ大学に留学し帰国した吉田健一は、河上徹太郎に連れられ「はせ川」に行くようになった。そこで当時の気鋭の文学者と知り合うようになった。酒席は論争、喧嘩(けんか)の場でもあり、罵声が飛び交った。

 吉田健一は英語だけではなくフランス語も出来た。ある時、大岡昇平朝日新聞社の入社試験を受けたがうまくゆかなかった。「金本位」のフランス語が分からなかったという。吉田健一がそれは「エタロノール(〓talonor)」だと口を出すと、たちまち生意気な奴だと大岡昇平にべらんめえ調で絡まれた。

 こういう伝記的事実、というよりゴシップが面白い。人間の愚行を愛する立場で書かれているから思わず笑ってしまう。

 酒を通して知り合った小林秀雄中村光夫、後には福田恆存(つねあり)らに刺激を受ける。鍛えられる。とくに河上徹太郎に師事した。「河上と出会わなければ、批評家・吉田健一は誕生しなかった」。ピアノを弾く、包容力のある河上はよく吉田健一をかばったという。酒の席で絡むことの多い小林秀雄は苦手だった。

 文学史的には、昭和の十年前後、河上徹太郎小林秀雄の登場によって「批評」という新しい文学形式が確立していった。吉田健一はその「批評」の誕生のなかで自らを確立してゆく。ポーの『覚書(マルジナリア)』やヴァレリーの『精神の政治学』などを訳出した。

 飄逸(ひょういつ)のイメージが強い人柄のためについ忘れがちになるが、吉田健一は戦争末期に兵隊に取られている。二歳八カ月の長男と身重の妻を置いて、海軍の最下級兵の暮しを体験した。後年、ある随筆に「曲りなりにも帝国海軍の最後の日々にその一員であることを得た光栄は、それを担ふことになつた当時、殊にその当日は少しも感じなかつた」と書いている。兵隊になった体験に重きを置いている。

 著者(一九四七年生まれ)は編集者として後年の吉田健一に接したが、ある時、中村眞一郎福永武彦加藤周一らのいわゆる「マチネ・ポエティク」の仕事をなぜ評価しないのかと聞くと、答えにくそうに「だって、かれらは戦争に行かなかった……」と呟(つぶや)いたという。戦後生まれの著者は「時代錯誤のようなこの返事」に仰天したというが、飄々としたイギリス帰りの文学者にも戦争体験がいかに重かったかがうかがえる。

 戦後の混乱期は、空襲で家を焼かれたこともあって生活の苦労をした。モク拾いをしたり、物乞いをしたりした。父親の吉田茂は、親米派だったため戦時中は不遇だったが、戦後は総理大臣になった。その子供が貧乏暮しをするのだから世間の話題になった。物乞いになったのも良家の子のやつし(、、、)かもしれない。

 酒は相変わらずよく飲んだ。食糧事情がよくなるとよく食べもした。痛飲快食。酒ばかり飲んでいるように見えるが決してそうではない。戦後、知り合いになったドナルド・キーンはこんな酒豪と付合うと仕事が出来なくなると怖(おそ)れたが、実際に付合ってみると「(吉田健一は)いったん飲み出すと留まるところを知らないが、普通は週に一、二日しかやらないということ」を知ったという。

 本質は勤勉なのである。実によく仕事をした。昭和四十年代は充実期で、評論『ヨオロツパの世紀末』、小説『瓦礫(がれき)の中』『絵空ごと』『金沢』などの力作を発表した。他方、食と酒のエッセイ『舌鼓ところどころ』が人気を呼んだ。

 自由人で仕事も既成の枠にとらわれない。純文学優位の時代にあって、読売新聞に、大衆文学時評を始めてあっといわせた。水上勉の『雁の寺』を激賞したし、司馬遼太郎池波正太郎鮎川哲也らを評価した。山本周五郎を愛読した。

 吉田健一の文章は融通無碍(ゆうずうむげ)。読点がなく、くねりながら続く。とらえどころがない。内に相当の屈折を抱えていたのだろう。こういう作家を理解するには本書のような作家の暮しを細部にわたって記してゆく手法が有効になる。
    −−「今週の本棚:川本三郎・評 『吉田健一』=長谷川郁夫・著」、『毎日新聞』2014年11月23日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20141123ddm015070026000c.html





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