覚え書:「書評:<報道写真>と戦争1930〜1960 白山 眞理 著」、『東京新聞』2014年11月23日(日)付。

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<報道写真>と戦争1930〜1960 白山 眞理 著  

2014年11月23日
 
◆国策宣伝の演出に溺れる
[評者]上野昴志=評論家
 画期的な労作である。
 その眼目は、日本で一九三〇年代初頭に成立した「報道写真」が、三〇年代の国際関係において、国家の宣伝工作のツールとして注目され、さらに日中戦争以後の戦時体制のなかで重用されていく過程を、資料の緻密な検証を通じて明らかにした点にある。
 そこで中心になるのは、報道写真を名実ともに育てた名取洋之助であり、『光画』で写真の新しい方向を模索していた木村伊兵衛や美学研究者の伊奈信男、名取が立ち上げた「日本工房」に触発されてそこに参加した土門拳などである。
 名取は、「生きた現代の日本を、新しい写真で外国に知らせる仕事を組織的にやってみよう」と行動したが、それこそが、対外情報戦略の一環として国家が求めていたものなのだ。日本工房が刊行したグラフ誌『NIPPON』を、外務省の外郭団体「国際文化振興会」がバックアップし、日中戦争が勃発した一九三七年には、名取は内閣情報部の嘱託になる。また木村伊兵衛は、内閣情報部発行のグラフ誌『写真週報』で腕を振るい、土門拳も、海軍の協力のもと「日本の水兵」を『NIPPON』誌に発表する。そして、日中戦争が長期化するなかで、報道写真は、国家が求める「宣伝写真」になっていくのだ。
 むろん、そのなかでも、中国戦線で日本の暴走を止めようとした名取と、写真による「参戦」を唱えた土門とでは姿勢は異なるが、大勢は、演出を排するはずの報道写真が、国策宣伝のための演出に溺れていったのである。
 そのような歴史を振り返って思うのは、写真が、キャプションや撮る対象およびその角度、また組み写真の編集により、いかようにも意味づけられるメディアであることと、その点に関しての写真家の批評意識の希薄さである。それが戦後にも、自分たちの戦中の行為に平然としていられた所以(ゆえん)ではないだろうか。
吉川弘文館・5184円)
 しらやま・まり 日本カメラ博物館運営委員。著書『名取洋之助』など。
◆もう1冊 
 鳥飼行博著『写真・ポスターから学ぶ戦争の百年』(青弓社)。二つの世界大戦などを戦意高揚のポスターや戦況報道写真から解説。
    −−「書評:<報道写真>と戦争1930〜1960 白山 眞理 著」、『東京新聞』2014年11月23日(日)付。

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