覚え書:「モディアノの世界 堀江敏幸さんが選ぶ本 [文]堀江敏幸(作家)」、『朝日新聞』2014年12月14日(日)付。


4_2

        • -

モディアノの世界 堀江敏幸さんが選ぶ本
[文]堀江敏幸(作家)  [掲載]2014年12月14日

(写真キャプション)ノーベル賞授賞式に出席したパトリック・モディアノ=AFP時事

■自身の内部の沈黙を描く
 去る十二月七日、今年のノーベル文学賞を受賞したパトリック・モディアノが、ストックホルムで短い講演を行った。この作家が人前で話すときに見せる極度のためらいを知っているフランスの読者は、当人以上に緊張していたことだろう。しかしモディアノは、わかりやすい言葉で練られた草稿を訥々(とつとつ)と読みあげ、自身の文学的来歴と小説作法とをみごとに語ってみせた。

■寂しさと空虚感
 モディアノは一九四五年、パリ近郊ブーローニュ・ビヤンクールに生まれた。父はイタリア系ユダヤ人、母はベルギー人。偽の身分証明書を得てパリに潜伏していた男と、あまりぱっとしない俳優だった女が、誰も語りたがらない占領下のパリで出会い、子をもうける。留守にしがちな親たちにかわって幼いモディアノと、早くに亡くなる弟を見守ったのは、陰のある怪しげな人たちだった。
 先の講演でモディアノは、本を書きあげる直前に味わうどこか落ち着かない寂しさと、書きあげたあとの空虚感、そしてひとり放り出されたような印象について語っている。この空っぽな感覚と、置き去りにされたときの茫然(ぼうぜん)自失は、彼の小説の根幹に触れるものだ。自身の周囲の、また内部の、歴史のなかにあって歴史の中枢にはならない沈黙の部分を、モディアノは執拗(しつよう)に描いてきた。ただし、音楽的な同一句の反復と、ふわふわしているように見えてここしかない一点は外さない正確さをもって。
 たとえば一九七八年刊行のゴンクール賞受賞作『暗いブティック通り』は、記憶喪失の状態で私立探偵事務所に雇われていた主人公が、みずからの出自とアイデンティティ探索へと乗り出すミステリ風の物語だ。「私は何者でもない」という冒頭と、自分たちの人生が「夕べの闇に、没していくのではあるまいか?」と結ばれる最後の一文は、この作品のみならず、全著作の特徴をとらえている。自分であるかもしれない他者と、他者であるかもしれない自分。過去の記憶は、追えば追うほど曖昧(あいまい)な領域に逃れていく。
 資料や証言は、たしかに存在する。『1941年。パリの尋ね人』は、一九四一年十二月三十一日付の「パリ・ソワール」でモディアノが見出(みいだ)した、十五歳の少女の尋ね人広告が発端になっている。その後、少女はどうなったのか。モディアノは粘り強い調査を重ねて、彼女とその両親が強制収容所に送られたことを突き止め、そこに自身の父の、ありえたかもしれない過去を重ねる。

■過去呼び覚ます
 最も新しい邦訳になる『失われた時のカフェで』は、右の二作の精髄をちりばめた連作短篇(たんぺん)形式の一書だ。各篇の語り手は、前章の人物関係や設定を生かしつつ、一人称単数として過去の穴を埋めようとする。しかもそのひとりである女性が、謎の中心線を引っ張っている自覚を欠いたまま、他者の過去をも呼び覚ます。「答えのないままに残された問い」を支えとした過去の時空に、モディアノはあらためて語りの言葉の起源と可能性を見出したのである。
 先行きのわからない半睡状態で書かれた言葉が、それを書いてしまった現在の自分と化学反応を起こす。事実に即した特定の過去が幻灯のように輪郭を失って、じわじわと他者の胸に溶け込んでいくモディアノの世界を知るために、まずはこの三作を紹介しておきたい。
    ◇
ほりえ・としゆき 作家 64年生まれ。『なずな』など。訳書にモディアノ著『八月の日曜日』。
    −−「モディアノの世界 堀江敏幸さんが選ぶ本 [文]堀江敏幸(作家)」、『朝日新聞』2014年12月14日(日)付。

        • -






http://book.asahi.com/reviews/column/2014121400002.html


Resize0536


失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ
作品社
売り上げランキング: 9,341


八月の日曜日
八月の日曜日
posted with amazlet at 14.12.22
パトリック モディアノ
水声社
売り上げランキング: 162,830

なずな
なずな
posted with amazlet at 14.12.22
堀江 敏幸
集英社
売り上げランキング: 119,663