覚え書:「第14回大佛次郎論壇賞 『原子力損害賠償制度の研究』 遠藤典子氏」、『朝日新聞』2014年12月21日(日)付。


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第14回大佛次郎論壇賞 『原子力損害賠償制度の研究』 遠藤典子氏
2014年12月21日

(写真キャプション)遠藤典子氏=西田裕樹撮影
 第14回大佛(おさらぎ)次郎論壇賞(朝日新聞社主催)は、公共政策研究者である遠藤典子さん(46)の『原子力損害賠償制度の研究 東京電力福島原発事故からの考察』(岩波書店)に決まった。原子力損害賠償法が巨大事故には対処できない形で誕生した歴史と、3・11を受けて緊急の賠償制度が構築された過程を明らかにし、原子力発電のコストは誰が負担すべきなのかという問題を提起した。来年1月28日、東京・内幸町の帝国ホテルで、朝日賞、大佛次郎賞朝日スポーツ賞とともに贈呈式がある。

 ■特異な日本の制度、コスト誰が負担

 1961年に制定された原子力損害賠償法は、半世紀後に起きた東京電力福島第一原発事故に対処するにはひどく不十分なものだった。

 なぜ、そのような制度のもとで原子力発電にかかわる政策が進められてきたのか。巨額の賠償を実行するための緊急の仕組みはどう構築されたのか。受賞作は、綿密な調査を通じてそれらの問いに答えを出した。政策担当者など82人に上る関係者への聞き取りを踏まえた事例研究だ。

 このテーマに出会ったきっかけは「取材」だった。3・11が起きたとき、経済誌の現場にいた。放射能汚染からの避難にかかる費用、商売ができなくなった人々への補償……。損害は巨大だった。

 「東京電力が負担できるとは思えませんでした。では、東電はつぶれるのか。政府はどういう役割を担うべきなのか……。分からないことがあまりに多いと感じました」

 原子力損害賠償法の不備を埋め、賠償のための緊急の仕組みを作り出す作業が、官僚機構によって進められていた。政策担当者のヒアリングを始め、仕事と並行して学んでいた大学院の博士論文として、公共政策研究の手法で、2年半をかけてこの問題に迫った。

 「想定されていない事故だったため、関係者は試行錯誤していた。政策が形成されるその『過程』を見るには、記者にとっては手慣れたインタビューという手法が有効だと考えました。文書に残るのは主に『結果』だけなので」

 事故の賠償責任は電気事業者が負い、国家には補償責任は課さない。原子力損害賠償法はそう規定していた。どれだけ巨額だろうと負担させられる「無限責任」を事業者が負い、政府には「補償」ではなく「援助」という弱い関与のみが定められていた。「有限責任プラス国家補償」という世界標準から見れば、それは「特異」な制度だった。

 「原発の安全性を信じるという『思考停止』の状態が続いてきたのだと思います」

 賠償を担うべきは、東電という事業者なのか、東電の電気を利用する人々か、原子力政策を振興した国か……。真剣に問われないできた問題に緊急に「解」を出す必要が生じたのが3・11だった。

 「求められたのは、法的な整合性があり経済的にも合理的で、政治的なリアリズムも踏まえた賠償の仕組み。官僚たちは当時の民主党政権のもと、水俣病への支援策を作った際などの経験の蓄積を活用しながら、自律的かつ短期間に『現実解』を構築しました」

 もちろん、官僚機構の優秀さを訴えるための本ではない。「作られたのはあくまで緊急の仕組みであって、今後に長く続く原発のコストをどう負担すべきかという問題は残されたままです。『分担』をめぐる社会的な議論を深めるためにこの本が役立てば、うれしく思います」

 趣味は美術や音楽だが、仕事としては経済や政策と向き合ってきた。今後は研究を中心にすえていくが、いつか余裕ができたら、芸術評論も手がけてみたいという。

 「それまでは、殺伐としてカラカラに乾いたこの世界に専念していくつもりです」

 <えんどう・のりこ> 公共政策研究者 1968年生まれ。東京大学政策ビジョン研究センター客員研究員。専門はエネルギー政策。京都大学大学院博士課程修了。経済誌副編集長などのジャーナリスト活動を経て、2013年から現職。

 

 【選評】

 ■責任曖昧な法律明らかに 大竹文雄大阪大学教授(経済学)

 日本の原子力賠償制度は国際的にみると非常に特殊なものだ。世界標準の法律では、原子力事業責任の厳格化、原子力事業者への損害賠償措置の強制、国家による補償という共通の枠組みがある。外国では原子力事業者の支払い賠償は「有限責任」であるが日本では「無限責任」である。日本の国家関与は「補償」ではなく「援助」である。無限責任と国家援助という組み合わせは、事業者と国の責任が曖昧(あいまい)になる。そのため、事故発生後に援助スキームが構築されなければならなかった。

 本書は、日本の原賠法がなぜ特殊なものになったのか、問題のある法律のもとで行政担当者たちが事故後にいかにして賠償スキームを構築したかを、豊富な資料と取材によって明らかにする。今後の制度の改善のための重要な文献になるだろう。

 ■二重三重の逆転劇を描く 苅谷剛彦・英オックスフォード大教授(社会学

 核大国アメリカの促しで原発開発に着手した被爆国日本。核の恐ろしさを熟知しつつ、貧しさの中で、国際的に見ても特異で不完全な、曖昧さを残した賠償制度ができあがる。本書は、その成立とそれが3・11まで放置された歴史を詳細に分析する。その上で、政治主導をうたった民主党政権下で、官僚チームが水俣病賠償制度や産業再生機構での経験を生かしつつ、政治から離れた地点で、制度の曖昧さを逆手にとった福島原発事故への賠償案(支援機構スキーム)を作り上げる、二重三重の逆転劇を描き出す。

 その筆致にこの先どうなるのかとページを繰る手が速まった。日本的問題解決の特質(いい意味でも悪い意味でも)を摘出するのに成功している。受賞者には、支援機構がこの先どのように機能するのか、追いかけ続けてほしい。

 ■飽くなき研究動機に感銘 酒井啓子千葉大学教授(中東研究)

 ジャーナリストとして阪神大震災を経験し、その後東日本大震災を経て研究の道に入ったという、その飽くなき研究動機にまず感銘を受けた。未曽有の危機に学問に何ができるかという反語的問いが繰り返されるなか、現場に起きていることを解明するためにこそ追求すべき研究があること、そのように動機づけられた研究が象牙の塔のなかで高い評価を受けて学術的高みまで至ることができるということを、博士論文をもとにかかれた本書はよく示している。

 著者は「これまでの学説に挑むような理論的貢献を第一とするものではない」と言うが、水俣病賠償問題の解決方法が今次の原発事故対応に深く関連したと指摘するように、賠償制度の在り方全体を問う理論枠組みの構築に十分資する。ぜひさらなる高みを目指してほしい。

 ■制度設計に積極的提言を 山室信一京都大学人文科学研究所長(思想史)

 日本の原子力損害賠償制度は、事業者が無限責任を負い、国家が裁量的援助を行うという曖昧なものであったが、安全神話を損なうとの配慮から改正は行われなかった。しかし、福島原発事故に対処すべく、チッソ公的資金支援に準拠した政府による間接支援方式が採用されるに至った。

 その政策導入過程をたどる本書は、法制度の叙述ゆえに初めは取っつきにくいにしても、次第に著者が経済誌記者として蓄えた取材力と明晰(めいせき)な分析に支えられてドキュメントとしての魅力を発揮してくる。

 除染費用などの損害補償額が膨大化している現在、原子力政策全体のパッケージの中で賠償制度の再構築は焦眉(しょうび)の課題である。それゆえ本書の資料としての価値は高く、著者には官僚に依存しない制度設計における積極的提言を強く期待したい。

 ■貴重な記録と大きな問い 大野博人・本社論説主幹

 原発事故の損害賠償についてのすぐれた研究書でありルポである。未曽有の危機に既存の制度はそのままでは機能しない。「法律的整合性と経済的整合性をともに備え、かつ政治的リアリズムから遊離しないという制約条件を克服して有用な政策形成を行う」という離れ業に行政機能がどう取り組んだか、緻密(ちみつ)に描かれている。

 水俣病金融危機の例を活用しながら「建設的あいまいさ」を巧みに織り込んで対策を立てていった官僚機構の描写は、この事故の貴重な記録の一つになろう。同時に、政治を相対化しながら走り続けた官僚たちの姿は、「政治の機能不全」や国民は正当な理由があっても負担を嫌う、といった民主主義社会が抱える深刻な問題を浮き彫りにもしている。明快な説明とともに大きな問いを投げかける書である。

 

 <これまでの受賞作>

【第1回】大野健一『途上国のグローバリゼーション』

 ◇奨励賞 苅谷剛彦『階層化日本と教育危機』/小林慶一郎・加藤創太『日本経済の罠(わな)』

 ◇特別賞 ジョン・ダワー『敗北を抱きしめて』

【第2回】池内恵『現代アラブの社会思想』

【第3回】篠田英朗『平和構築と法の支配』/小熊英二『〈民主〉と〈愛国〉』

【第4回】ケネス・ルオフ『国民の天皇』/瀧井一博『文明史のなかの明治憲法

【第5回】中島岳志中村屋のボース』

【第6回】岩下明裕『北方領土問題』

 ◇奨励賞 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』

【第7回】朴裕河(パク・ユハ)『和解のために』

【第8回】湯浅誠『反貧困』

【第9回】広井良典『コミュニティを問いなおす』

【第10回】竹中治堅『参議院とは何か』

【第11回】服部龍二日中国交正常化

【第12回】大島堅一『原発のコスト』

【第13回】今野晴貴ブラック企業
    −−「第14回大佛次郎論壇賞 『原子力損害賠償制度の研究』 遠藤典子氏」、『朝日新聞』2014年12月21日(日)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11518340.html


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