覚え書:「中国媒体報告:高倉健さんを一斉に追悼 日中の文化交流促進に重要な貢献」、『毎日新聞』2014年12月22日(月)付。
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中国媒体報告:高倉健さんを一斉に追悼 日中の文化交流促進に重要な貢献
毎日新聞 2014年12月22日 東京朝刊
(写真キャプション)死去を受けて高倉さんを特集した中国の報道番組<上>と「追捕」の場面集<中><下>=コラージュ・松本隆之
【追悼・高倉健さん】中国の映画人やマスコミ人に聞く
<中国媒体(メディア)報告>
先月、83歳で亡くなった日本を代表する映画スター、高倉健さんは、中国でもよく知られた存在だった。中国メディアは相次いで追悼特集を組んだ。安倍晋三首相と習近平国家主席の首脳会談から間を置かずに訃報が届いたこともあって、中国人が「日本ブーム」の歴史を振り返り、文化交流の効果の大きさを見直すきっかけになったようだ。【北京・工藤哲】
◇「日本ブーム」振り返る
高倉さんは、日中平和友好条約が締結された1978年に中国で公開された日本映画「君よ憤怒(ふんど)の河を渉(わた)れ」(中国名「追捕」、佐藤純弥監督)の主役「杜丘冬人(もりおかふゆと)」として中国の中高年世代に親しまれた。76年製作のサスペンス映画で、身に覚えのない強盗の疑いをかけられた東京地検検事、杜丘が各地を逃走し、遠波真由美(中野良子)らに助けられながら潔白を証明していくストーリーだ。北海道や東京・新宿が舞台となり、新宿駅周辺を馬の列が駆け抜けるシーンが話題になった。
中国各地で公開されたのは、毛沢東が「紅衛兵」と呼ばれる若者らを動員し、党の要人や知識人らを糾弾した文化大革命(66−76年)の終結から間もない時期だった。トウ小平氏が78年に訪日し、日本映画を中国で上映する方針を決めたことから公開された。口数は少ないが毅然(きぜん)と逆境を乗り越える高倉さんや、率直に感情を表現する中野さんの姿は、当時の中国で驚きをもって迎えられ、日本のイメージを大きく変えた。
胡錦濤前国家主席や温家宝前首相も鑑賞したという。中国の大都会の若者たちは、高倉さんをまねて上着の襟を立てて歩き、10万枚のコートが生産されると半月で売り切れた。その後、日本の映画やドラマが公式に上映・放送され、多くの日本の俳優が中国で知られるようになった。
高倉さん自身も、中国とのつながりが深かった。中国映画界の巨匠、張芸謀監督は「追捕」を見て、自分の映画への高倉さんの出演を熱望。2005年製作の「単騎、千里を走る。」で実現した。高倉さんは翌06年4月、北京映画学院に客員教授として招かれ「映画づくりを通じて心震える瞬間を味わってほしい」と学生たちに語りかけた。
国営中国中央テレビ(CCTV)は死去から間もない11月18日、報道番組で高倉さんを特集した。キャスターは「文化の影響は長く続くもので、今日の高倉健さんへの哀悼の思いは『文化の持つ力の大きさ』を証明している」と語った。
さらに「中国が89年の特殊な歴史(天安門事件)を経験した後、西側諸国の首相で初めて訪中したのは日本だった」と日本が中国で果たした役割を紹介した。「非常に遺憾なことに、最近の(冷え込んだ)日中関係によって、両国の文化交流は非常に大きな影響を受けた。多くの交流が取り消しや延期となった」と政治関係の改善への強い期待をにじませた。
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◇中国の中高年層に知られる日本の俳優と主な作品
【映画】
栗原小巻「サンダカン八番娼館『望郷』」「愛と死」
【テレビドラマ】
田中裕子「おしん」
−−「中国媒体報告:高倉健さんを一斉に追悼 日中の文化交流促進に重要な貢献」、『毎日新聞』2014年12月22日(月)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20141222ddm004040034000c.html