覚え書:「今週の本棚:本村凌二・評 『21世紀の資本』=トマ・ピケティ著」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。

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今週の本棚:本村凌二・評 『21世紀の資本』=トマ・ピケティ著
毎日新聞 2014年12月28日 東京朝刊

 (みすず書房・5940円)

 ◇低成長期の格差拡大は人類の宿命なのか

 この初秋に訪れたローマの書店で、本書の仏語原書と英訳書が山積みになっていた。手にとってみると、経済学と歴史学を合わせた経済文明史のような本だという印象だった。

 著者ピケティ氏が生まれた1971年に先立つころ、日本の大学は学生の反乱で喧騒(けんそう)をきわめた。数カ月も授業がない大学がいくつもあり、半面、読書のための時間がたっぷりあった。こんなときしか通読できないと思ったせいか、評者はマルクス資本論』(岩波文庫、全9冊)を半年余りで読了した。「諸階級」になりかけたところで筆がとだえているのだが、資本主義社会の構造分析としてはじつに的確だという読後感だった。その思いは今でも変わらないので、マルクス本を彷彿(ほうふつ)とさせる本書について筆をとらせてもらう。

 19世紀初頭のパリの下宿屋を舞台にするバルザック『ゴリオ爺(じい)さん』には、稼いだ大金すべてを溺愛する娘2人の持参金として富豪に嫁がせた哀れな老父が描かれている。また、彼に同情していた貧しい青年貴族には、刻苦勉励して働いてもたかが知れており、巨額の遺産を受けそうな女と結婚するのが肝心だ、とそそのかす声が聞こえる。

 同時代のイギリスの田舎村を舞台とするオースティン『高慢と偏見』にも、富豪の貴族と結婚させようとする両親をもつ娘たちの姿が生き生きと描かれている。そこには相続と地代にあずかってこそ、豊かな暮らしができるという生活観が色濃くにじみ出ている。

 20世紀になって教育の機会が拡(ひろ)がり、中産階級が台頭し、不平等感が目立たなくなった。だが、21世紀に近づくころから、ふたたび貧富の格差が拡がり、バルザックやオースティンの描く社会が再来するかもしれない、と著者は警告する。またしても現在の労苦よりも過去の蓄積がものをいう時代が訪れるのだろうか。われわれの生き方にも関わる問題の筋道はどう理解すべきなのか。

 まず、ある国の総資本ストックと国民所得フローを比べて、それを資本/所得比率とする。今日の先進国(欧米・日本など)の実績データでは、総資本は年間国民所得の5−6倍になる。

 しかしながら、この資本/所得比率の時系列データをさかのぼれば、20世紀前半には半分以下に落ち込んでいる。つまり所得の格差が目立たなくなっているのだ。だが、そこには二つの世界大戦という衝撃があったことを忘れるべきではない。やがて、その後の復興期に著しい経済成長によって資本/所得比率も20世紀初頭の段階まで回復しているという。

 かつて1950年代にアメリカ経済学会の重鎮クズネッツは経済成長と所得格差の変化を「釣り鐘型の曲線」で説明した。工業化の初期段階に格差が増大しても、その後は所得が増え、急激に格差が縮小するというもの。しかし、この楽観的な見方は東西冷戦のなかで自由世界を擁護するために利用された嫌いがある。

 ところが、高度成長によって国富が充実しても、その所得配分をみれば格差が拡大しつつある。著者によれば、問題の道筋は資本収益率(r:利潤、配当、利子、賃料などの資本収入をその資本の総価値で割ったもの)と経済成長率(g:所得や産出の年間増加率)の差にあるという。rがgを上回れば上回るほど、つまり「r>g」の不等式が明らかであればあるほど、富の分配にあって格差が増大する。この主張は重要であり、本書の核心をなしている。

 歴史をふりかえれば、18世紀まで経済成長といえるものはほとんどなかった。19世紀の工業化社会でも年1%強ほどの成長しかない。ところが、20世紀前半の2度の世界大戦と大恐慌、その後の復興期に経済成長率が例外的に高い時代がつづく。だが、今また先進諸国は低成長期を迎えた。どうやらrがgを大きく上回る人類史の定番に戻り、相続財産が幅をきかすような気配に怯(おび)える。

 著者は、数理経済学のような数字の整合的説明に背を向け、あくまで長年にわたって諸種の膨大な歴史実績のデータを積み重ねつつ実証的に説明しようとする。その姿勢やよし、専門家はデータの収集・分析に瑕疵(かし)を見いだすこともあるだろう。だが、問題提起には大いに傾聴しなければならない。

 貧富の格差は資本主義社会の避けられない宿命なのか。それとも不平等を是正する手立てがあるのか。グローバル化された世襲資本主義のなかで世界規模での「累進資本課税」に一縷(いちる)の望みが託される。そこには著者が古めかしかろうが「政治経済学」への回帰を望む意欲すら感じられる。

 マルクスは、貧富の格差を増大させる資本主義はやがて利潤率の低下で崩壊する、と予告した。だが、人類はそれを技術革新で乗り切ってきた。ここは人類の知恵の絞りどころかもしれない。

 現代社会では一握りのスーパー経営者が莫大(ばくだい)な収益を手に入れているが、その極端なアメリカのみならず、わが国でも本書が広く読まれることを期待したい。(山形浩生、守岡桜、森本正史訳)
    ーー「今週の本棚:本村凌二・評 『21世紀の資本』=トマ・ピケティ著」、『毎日新聞』2014年12月28日(日)付。

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