書評:内田樹『街場の憂国論』晶文社、2013年。

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内田樹『街場の憂国論』晶文社、読了。本書は国家や政治にかかわる著者のエッセイ集。未曾有の「国難」に対し、どう処するべきか。未来を「憂う」ウチダ先生の処方箋。表紙扉裏に「スッタニパータ」の一節「犀の角のようにただ独り歩め」と印刷。ノイズを退け未来を展望する著者の省察の本質がずばりだ。

政治的立場に関係なく可能なのが「憂国」だ。しかし「多くの人が自分と同じことを言っている」式の憂国談義ほど、その自分の生活を破壊するものに他ならない。正しく「憂う」には思考の作法、連帯の作法が必要なのだ。カッとなり乗せられてしまう前に紐解きたい一冊。

※書き下ろしがあとがき・まえがきになるのでちとあとがきから紹介。

著者は「『アンサング・ヒーロー』という生き方」として締めくくる(あとがき)。アンサング・ヒーローとは「歌われざる英雄」のこと。私たちの社会はアンサング・ヒーローたちの「報われることのない努力」に成立するが、減ってきたことに著者は危機を感じるというが、まさに。

歌われざる英雄とは「顕彰されることのない英雄」。具体的に言えば堤防に小さな「蟻の穴」を見つけた村人が、何気なく小石を詰め穴をふさいだ。放置すれば大雨で決壊は必至だが、「穴を塞いだ人の功績は誰にも知られることがありません。本人も自分が村を救ったことを知らない」。

“今の日本では「業績をエビデンスで示すことができて、顕彰された人」だけが貢献者であって、「業績をエビデンスで示せないし、顕彰されていない人」の功績はゼロ査定されます” 未然に無名で防ぐことで業績が特定され報奨を得る可能性がないことで「しない」でいいのかなあ?

アンサング・ヒーローとは「間尺に合わない生き方」かもしれないが、浮き足だって「改革だ」とがなり散らす「機動性」と対極にある「ローカル」な生き方だ。しかし、地に足をつけた一歩一歩からリスクを防ぎ未来の展望が可能になる。身近な蟻の穴埋めることから始めたい。



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街場の憂国論 (犀の教室)
内田樹
晶文社
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