覚え書:「今週の本棚:中島京子・評 『バカになったか、日本人』=橋本治・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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今週の本棚:中島京子・評 『バカになったか、日本人』=橋本治・著
毎日新聞 2015年01月11日 東京朝刊

 (集英社・1512円)

 ◇一つ覚えの「景気回復」、あとは「丸投げ」

 本書は、著者が二〇一一年−一四年の間に書いたエッセイをまとめたもので、<東日本大震災>から<安倍政権が進める憲法改正>までを論じている。振り返ると残念なことに、進まないのは震災復興と原発事故の収束、進むのは増税と安全保障政策と改憲論議、そして後退するのは社会保障政策、という三年間だった。この政治状況を、昨年末の史上最低投票率衆議院選挙で承認して締めくくってしまったわけで、主権者たる日本国民は、「バカになったか」と疑問を呈されても仕方がない立場にあるように思う。

 日本人にも、バカでなかったころがあるのか、明確には示されないが、本書が扱うのは、「戦後」である。震災がすべての始まりだったように語られがちの現代日本の「ヘン」さのもとを、著者はまずその直前、二十一世紀が始まって以来の状況を俯瞰(ふかん)して読み解き、さらにそれ以前に遡(さかのぼ)って、日本社会を色濃く性格づけた「戦後」を整理する。

 「『戦後』は『戦後』のまま立ち消えになって行く」というエッセイで指摘されるのは、日本における市民の不在である。「『近代市民社会』と言われる時の『市民』がそれで、これは『右でもない、左でもない、リベラルな存在』であるはずのものである」「戦後というのは、旧来の考え方から離れて、日本人が『市民』になろうとして、『市民社会』なるものを形成しようとした時代だった」。主権者である意識を持ち、自分達の社会をよりよくしようと努力する市民。それを育成するべくメディアも教育も動いたのが「戦後」であったのに、そしてたとえば一九七〇代には、公害をターゲットとする市民運動も盛んだったが、公害が減少したら市民運動も衰退した。「衰退してもかまわなかった。日本はどんどん豊かになって行ったから。『生活が大丈夫だから、政治なんかどうでもいい』になってしまった」。景気の良さが市民の芽をつぶした。結果、日本に市民は育たず、それゆえ市民のための政党は生まれず、いつのまにか市民という言葉も古臭く響くようになった。だから本来市民となるべきだった人たちは膨大な数の無党派層と化して今日あり、政治なんかどうでもよくしてくれる「景気回復」を求めて(そう、好景気こそがこの二十年以上、この国の人々の悲願であり続けている)、「アベノミクス」を唱え続ける政権を支持してしまったというわけだ。「日本の『戦後』は、『戦後』という時代区分だけがあって、格別の成果も持たず、ただ立ち消えていく。日本で一番厄介な問題は、戦後社会の日本人のあり方にふさわしい政党が今になってもまだ存在しないということだろう」。それが民主党でも、いわゆる第三極と呼ばれる政党でもなかったことの理由も、明快に記されている。

 しかし「景気の回復」といっても、それがかつてのものとは意味を変質させてしまったのが二十一世紀だ、と『二十世紀』の名著もある著者は指摘する。「物を作る」が無効となり「金融で金儲(もう)けをする」がスタンダードとなった二十一世紀の先進国では、「景気回復」の恩恵に与(あずか)れるのは金を持っている層だけ。しかし、そこは考えようとせずに、政治に望むことはひたすら「景気回復」、なすべき議論を「丸投げ」「先送り」「素っ飛ばす」「多分忘れる、絶対忘れる」という凄(すさ)まじい方法で避け続ける日本人。

 有効な薬についての記述はないが、本書の中で三度に亘(わた)って著者が強く訴えていることは、傾聴に値すると思われる。「日本国民の頭はもう少しよくならなければならない」
    −−「今週の本棚:中島京子・評 『バカになったか、日本人』=橋本治・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150111ddm015070006000c.html



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バカになったか、日本人
橋本 治
集英社
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