覚え書:「今週の本棚・本と人:『鹿の王 上・下』 著者・上橋菜穂子さん」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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今週の本棚・本と人:『鹿の王 上・下』 著者・上橋菜穂子さん
毎日新聞 2015年01月11日 東京朝刊
 
 (角川書店・各1728円)

 ◇科学で紡いだ異世界の物語−−上橋菜穂子(うえはし・なほこ)さん

 土台はこれまで築いてきた独特の異世界ファンタジー。その上に感染症をテーマとした緻密な医学ミステリーが展開されていく。国際アンデルセン賞受賞後の最新作は、新ジャンルを切り開いたとも思える大胆で不思議な作品だ。

 「いろいろな呼ばれ方をしますが、私にとっては、ただ『物語』。この世がなぜこうなり、私たちがなぜこうあるかを知りたい。そんな思いがいつもあり、何かきっかけがあると物語が生まれるようです」。今回は「守り人」と「獣の奏者」のシリーズを終え空っぽになったところへやってきた更年期の不調。病気や漢方などの本を読み進める中でウイルスと人の関係を解き明かす本に出合った。「人間の身体にはウイルスや細菌などたくさんの生命が共存している。排除すべき対象だと思っていたウイルスも人の進化に関わっている可能性がある」。人の体は、たくさんの人が住む国や社会と同じ。そう気づいたことが文化人類学者でもある著者の心を動かした。

 そこから立ち上がった物語は東乎瑠(ツオル)帝国に征服されたアカファ王国の岩塩鉱で黒い犬に咬(か)まれた奴隷たちが次々死んでいくところから始まる。元戦士団の頭ヴァンは生き延び、もう一人の生き残りである幼子ユナを連れて逃げる。ヴァンを追いつつ疫病「黒狼熱(ミッツアル)」の謎に迫る医術師。国と国の駆け引きに翻弄(ほんろう)される人々。やがてヴァンの身体に奇妙な変化が現れ−−。

 それにしても、現実の世界にあてはめて矛盾のない正確な感染症と医学の描写はどこから? 「それは苦労しました。医学関係の描写をすべて抜き出して、理屈がおかしくないか、従弟(いとこ)の内科医に全部見てもらいました」。医学の歴史書も読み込み、「顕微鏡なども、この時代背景に存在しておかしくないとわかったところで書くことができた」。振り返りつつ楽しげなのは、子どものころからの科学好きのせいだろうか。

 生と死、命の継承という重い課題を扱う中で行き詰まった時も科学的思考に救われた。AとBという遺伝子が組み合わさって生まれてくる個体はAでもBでもない。まったく新しい個体が1回だけ生まれ、消える。子を持つことだけが命をつなぐことではない。そう気づいた時に再び物語が動いた。「我が子の大切さ、家族の大事さを、血のつながりで語りたくないのです」。著者らしいこだわりも本書の底流に静かに流れている。<文と写真・青野由利>
    −−「今週の本棚・本と人:『鹿の王 上・下』 著者・上橋菜穂子さん」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150111ddm015070008000c.html










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