覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『バイリンガルな夢と憂鬱』=西成彦・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『バイリンガルな夢と憂鬱』=西成彦・著
毎日新聞 2015年01月11日 東京朝刊
 
 (人文書院・3024円)

 ◇支配者の言葉話せる幸運と大きな不運

 自分が使う言葉について我々は無自覚である。

 ここで言う「我々」は日本人の大半ということだが、話題が言語である以上、敢(あ)えて日本語人と呼んだ方がいいのかもしれない。国籍ではなくて言葉。

 まず、「母国語」という半端な概念と「母語」を区別しよう。

 今の世界ではたいていの人に帰属する国家がある。そこの言葉が一つならば問題はないのだが、母から教わった生得の言葉、すなわち母語が自国の公用語と一致するとは限らない。アメリカ合衆国においてスペイン語母語とする人の率は年々増えている。シンガポールやスイスには公用語が四つある。それぞれ国の成り立ちが我が万世一系の島国とは違うのだ。

 次に、バイリンガルを我々は獲得された能力だと思っている。そんなに英語ができていいですねえとか言われる。しかし、考えてみれば、十九世紀にイギリスが、また二十世紀にアメリカが世界制覇をしたために、我々はしかたなく文法も発音も例外だらけの不合理な英語という言語を学ぶはめになったのだ。恨みは深いはず。

 同じことは日本語の周辺でも起こっている。大日本帝国と日本国は境界にいる人々に日本語の習得を強いた。

 知里幸惠(ちりゆきえ)の『アイヌ神謡集』は名著として知られている。この本の意義と限界を本書は確認する。この赤帯の岩波文庫口承文芸であったアイヌの物語を(翻訳による)日本語文学として世に広めた。

 それと同時に彼女の「序」にある「亡(ほろ)びゆくもの」というアイヌ観も広まった。

 現状を見ればアイヌは亡びてなどいない。亡びつつあるのはアイヌ語である。そういう力が働いたのだ。

 知里幸惠を指導してこの本を世に出した金田一京助の意図はどこにあったか。山邊(やまべ)安之助に手を貸して『あいぬ物語』を刊行した時には、金田一樺太アイヌであった山邊が日本語で語った一代記を敢えてアイヌ語で語り直させた。アイヌ語がさほどできるわけでもない山邊にそれを強いることでアイヌ語という言語の地位を確定しようとした。

 しかし十年後、『アイヌ神謡集』の時には金田一はそれをしなかった。もしも知里幸惠の「序」がバイリンガルのテクストだったらその後のなりゆきはずいぶん違っていただろう、と西成彦(まさひこ)は言う。

 金田一が死んだ後で、知里幸惠のノートが出てきた。それは彼女が単なるインフォーマントではなく優れたパフォーマントでもあったことを証するものだった。あの語りは「採話(さいわ)」ではなく生きたアイヌ語の話者による「再話」だった。それをあの本は凍結してしまった。

 岩波文庫アイヌ神謡集』のあのローマ字と日本語の対訳のページ構成はあれでよかったのか。ローマ字はアイヌ語を異化しなかったか。『萱野茂アイヌ語辞典』はカタカナを用いている。山浦玄嗣(はるつぐ)の「ケセン語訳」福音書四巻は新しいひらがなの文字まで作って標準日本語にない発音を表記している。

 「母語」と書くことはたやすいが、その母がいくつもの言語を用いていたら、子供の言語環境はどういうことになるか。この世界にはそういうことを強制される人生もあるのだ。

 李恢成(イフェソン)の「砧(きぬた)をうつ女」の場合、「母語」の基盤である母ははじめから朝鮮語と日本語のバイリンガルの中にあった。

 この日本語作家はサハリンで「大日本帝国の『国語』、そして小学校の級友たちから教わった口語日本語(=「浜ことば」)を足場としながら」も、「彼の文学の基層には、つねに朝鮮語が澱(よど)んでいた」。だから、「李恢成が描く小説の主人公たちにとって、その『母語』なるものは二つに分割され、かつ、境界の不分明なアマルガムをなしていた」と西は言う。

 『悪童日記』などを書いたアゴタ・クリストフ母語ハンガリー語だった。亡命先のスイスで生活のためにしかたなく覚えたフランス語でやがて小説を書いて有名になったが、彼女はフランス語を敵語と呼んでいた。自分の中の母語を侵蝕(しんしょく)する敵。

 この先は書評の範囲を超える私事かもしれない。

 ぼくが小学生になった頃、我が家は貧困の底に喘(あえ)いでいた。戦後の混乱期だったし、家計を担う立場の継父は若くて非力だった。その時期に職場から生活費を持ってきたのは母で、その職場は東京銀座のPX、つまり進駐軍ことアメリ将兵のためのデパートだった。母が女子大の英文科で学んだ英語が生活を支えた。

 それはバイリンガルの力が発揮された状況と言っていいだろう。我が一家にとって幸運であったと思う。しかしその背景には敗戦と異民族支配という大きな不運があった。異言語に依(よ)らざるを得ない事態があった。

 世界の多くの人にとって、言葉とはこういうものだ。この本はそれを教えてくれる。
    −−「今週の本棚:池澤夏樹・評 『バイリンガルな夢と憂鬱』=西成彦・著」、『毎日新聞』2015年01月11日(日)付。

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バイリンガルな夢と憂鬱
西 成彦
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