覚え書:「書評:誰がタブーをつくるのか? 永江 朗 著」、『東京新聞』2015年1月11日(日)付。

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誰がタブーをつくるのか? 永江 朗 著

2015年1月11日
 
◆自らを縛る理不尽さ
[評者]長岡義幸=ジャーナリスト
 日本は「そこそこ自由」ではあるけれど、「ある程度」の自由でしかない。では、その自由とは「どの程度」なのか。著者はこう疑問を投げかける。
 出版や報道の自由憲法に保障された権利ではあるけれど、様々な制約がある。デマやプライバシー侵害、差別扇動なら一定の制約があるのは当然だ。だがその一方で、無理無体な規制も蔓延(まんえん)する。一つは面倒になりそうだから触れるのはやめておこうという内的規制(対象のタブー化や自主規制)。もう一つは形骸化しているにもかかわらず強制される外的規制(法律や条例による規制)だ。
 本書では、広告主への配慮から編集者に記事の修正を求められたり、洋書店に勤務していた時、税関に赴き写真集のヘアや性器を砂消しで修正したり、そんな著者自身の体験を枕に、歴史に残る出来事を紹介し敷衍(ふえん)して二つの規制の理不尽さを明らかにする。白眉は本書の発行元・河出書房新社天皇タブーに触れた小説の単行本化を見送った出来事や、取次(とりつぎ)(本の問屋)に気兼ねして記事に墨塗りをした行為にも言及していることだ。
 他者のご都合主義を突くのはたやすい。だが著者や発行元の<汚点>に触れることで、他人事(ひとごと)にしない潔さには感じ入った。内的・外的規制という難題に出版界がどう取り組み、読者がどう読み解くか。個々人の姿勢が問われる好著だ。
(河出ブックス・1512円)
 ながえ・あきら 1958年生まれ。フリーライター。著書『批評の事情』など。
◆もう1冊
 川端幹人著『タブーの正体!』(ちくま新書)。メディアのタブーや自主規制が増える原因を実例を紹介しながら考察。
    −−「書評:誰がタブーをつくるのか? 永江 朗 著」、『東京新聞』2015年1月11日(日)付。

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