覚え書:「千の証言:スパイ養成、陸軍中野学校を直前に卒業 「秘密戦士」むなしい敗戦 使わぬ兵器背負い帰郷」、『毎日新聞』2015年01月13日(火)付。

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千の証言:スパイ養成、陸軍中野学校を直前に卒業 「秘密戦士」むなしい敗戦 使わぬ兵器背負い帰郷
毎日新聞 2015年01月13日 東京朝刊

(写真キャプション)バロー名誉会長の伊藤喜美さん。92歳の今も話し声は力強い=東京都内で

 終戦の前日、名古屋市の軍司令部から武器を持てるだけ持ち出した。翌日、玉音放送を聞いたが信用しなかった。スパイを養成する陸軍中野学校の出身で、放送は陛下の真意ではないと教わり、武器を携え故郷を目指した。「秘密戦士」として米軍に徹底抗戦する腹だった。戦後70年の今年最初の「千の証言」は、一人の実業家が戦後長く胸に秘めてきた思いを紹介する。【山田奈緒

 「戦争の犠牲者は、生きていればきっと日本の復興に身をささげたはずだ」。中部や北陸を中心にスーパーやホームセンターなど646店を展開する「バロー」グループの創業者、伊藤喜美さん(92)が言う。家業の食料品店から出発し、東証1部上場を果たした。今も同社の名誉会長として後進の相談に乗る。岐阜県大井町(現・恵那市)出身で法政大へ進み、1943年に学徒動員で陸軍歩兵隊へ入隊。地元の駅での出征式で、「みなさんと会うのはこれが最後。靖国で会いましょう」とあいさつしたと記憶する。

 その後、愛知県豊橋市陸軍予備士官学校へ入学した。ある日、中隊長から東京の中野学校の試験を受けるよう命じられた。300人以上の同級生から選ばれたのは自分を含め3人。どんな学校かも聞かず、衛兵の詰め所2階で待つ試験官の元へ。「(入室までに)貴官は今、何を見た?」。すでに試験は始まっていた。口頭で経済や世界情勢を問われ、2人が合格した。

 45年1月に上京して、最初に「国籍返上に異議なし」とする文書に署名した。もとより死ぬ覚悟で深刻に考えなかった。学校に着くと看板は「気象研究所」。秘密の任務だと徐々に分かり始めた。

 授業では、諜報(ちょうほう)や防諜、謀略、宣伝などスパイ活動理論に加え、空手や柔道など武術全般を学び、頭脳と身体を鍛えた。変装術では「入れ歯で口元の形を変えるのが一番」と教わり、ダイヤル式金庫を破る方法も身につけた。ある日、学校を抜け出して新宿まで電車で飲みに出た。学校へ戻ると、教官から「切符を買ったのか」と皮肉っぽく言われた。スパイなら行動の足跡を残すな、という趣旨だった。

 卒業は終戦の1カ月前。ビルマ(今のミャンマー)へ渡り、政府系金融機関の行員に扮(ふん)して諜報活動に当たるはずだった。戦況悪化で名古屋の軍司令部作戦参謀付となった。8月14日、学校の教官でもあった参謀から「無条件降伏を宣言する明日の玉音は陛下の真意ではない」と言われた。

 手投げ弾や拳銃、缶詰爆弾を袋に詰め、翌日帰郷したが、待てど暮らせど軍の命令も指示もない。ほどなく敗戦を悟り、近くの木曽川で武器を処分した。「魚でも取れないか」と、小舟から手投げ弾を川に投げた。小さな水柱が上がっただけだった。「むなしいというか、何とも言えん気持ちやったねえ」

 戦後刊行の「陸軍中野学校」(中野校友会編)には、伊藤さんとともに、昨年91歳で死去した小野田寛郎さんの名がある。小野田さんは静岡の分校でゲリラ戦術を学び、フィリピン・ルバング島で敗戦を信じず29年間戦い続け、74年に帰国した。帰国後、小野田さんと親交を深めた伊藤さんは、「戦後の変化に彼は戸惑っていた」と振り返る。

 伊藤さんの兄は南方戦線で肺結核を患い、戦後間もなく故郷で他界した。中野学校の試験に落ちた1人は特攻隊員として出撃し、最初に入った歩兵隊も多くが戦死した。「生と死は紙一重だった。道半ばで散った命を思えば、私の戦後の苦労など苦労ではない」

 兄に代わり家業の食料品店を支えた。食糧不足で闇物資を仕入れ、病床の兄に「地に足を着けてやれ」と叱られたこともある。経営者として成功し、叙勲も受けたが、「まだまだ、と兄も仲間も言うでしょう」と厳しい。「生かされた命を国や故郷にささげたい」。そんな思いは今も消えない。

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 ◇特集面で紹介

 「千の証言」は、戦争の記憶を活字や映像として残す毎日新聞社とTBSテレビの共同プロジェクトです。昨年8月にスタートし、全国から多数の投稿が寄せられています。戦後70年の節目である今年は、月に1度の特集面で証言を紹介し、専用ウェブサイトにも随時掲載していきます。引き続き、戦争を経験したご本人やご家族、ご遺族の証言を募集しています。テーマや応募方法はサイトをご覧ください。 
    −−「千の証言:スパイ養成、陸軍中野学校を直前に卒業 「秘密戦士」むなしい敗戦 使わぬ兵器背負い帰郷」、『毎日新聞』2015年01月13日(火)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150113ddm041040087000c.html





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