覚え書:「今週の本棚:海部宣男・評 『原発と大津波 警告を葬った人々』=添田孝史・著」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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今週の本棚:海部宣男・評 『原発と大津波 警告を葬った人々』=添田孝史・著
毎日新聞 2015年01月25日 東京朝刊
 
 (岩波新書・799円)

 ◇事実を知ることが、未来への出発点

 原発再稼働に、弾みがついている。総理は、「再稼働に求められる安全性は確保されている」。だが原発事故で訴えられた国と東電は、津波は予見できなかったと裁判で主張し、法的落ち度も責任も認めていない。

“再発を防ぐための検証は中途半端なまま放置されている。そのような状況で「今回は安全だ」と言われても、説得力はない”

 本書を読んでくると、エピローグのこの言葉はとても重い。 早くから原発災害問題に取り組んできた新聞記者が、3・11の後フリーライターになった。国会事故調査委員会の協力調査員の立場も活(い)かして隠された一次資料を発掘し、当事者多数に会って、「なぜあの大事故が起きたか」を追いかけてきた。

 東電の「想定外」という言い訳はやはり真っ赤な嘘(うそ)であることが、まず明々白々になる。それどころか東電は、福島原発津波想定を超える科学的提言や安全基準をつぶすため、執拗(しつよう)に学会・官界工作を進めた。故吉田第一原発所長も、本社でこれに関わった一人だった。これは経営陣も含めた社の方針で、使用期限が近い旧(ふる)い原発に「余計な金」をかけたくなかったから。それが成功した結果起きたのが、悲惨な大事故と言えるのだ。

 東電を大いに助けたのが、なんと土木学会と保安院。東電が金科玉条とした津波の緩い基準は「土木学会手法」と呼ばれたが、それを作った学会の委員会には、東電や電力関係者が多数。委員会の経費は、全部東電が出した。著者曰(いわ)く、「土木学会の退廃」。さらに読者は、はびこる隠蔽(いんぺい)体質や慣れ合いに驚かされ続けることになる。

 福島第一が「一番津波に弱い原発」であることは、関係者の間で周知の事実だったという。旧い原発なのでプレート運動による大地震という知見も安全基準に入っていなかったが、地震学の進歩や阪神淡路大震災で、原発地震対応は改定されてゆく。そうした科学の進展も追いかけ、原発の安全対策と比較したのもわかり易い。津波についても二〇〇〇年代初めまでに、貞観型の大地震や海溝型津波地震により、福島第一原発が大きな災害に見舞われる危険が何度も指摘されていた。だが東電と規制当局はこれを黙過し、地域や一般には秘密にしてきた。そこに、大津波は起きた。この時、一定の津波対策をしていた女川原発と東海第二原発はかろうじて被害をまぬがれている。つまり、事故は他の原発でも十分に起こり得たのである。

 著者は事故後も、エネルギー確保のため少数の原発稼働は仕方がないと考えていたという。

“しかし規制当局や東電の実態を知るにつれ、彼らに原発の運転をまかせるのは、とても怖いことを実感した。間違えば国土の半分が使い物にならなくなるような技術を、慎重に謙虚に使う能力が無い。しかも経済優先のため再稼働を主張し、科学者の懸念を無視して「リスクは低い」と強弁する電力会社や規制当局の姿は、事故後も変わっていない”

 残念ながらこの著者の文が、日本の現実を十二分に表わしている。惨禍をすぐに忘れ、同じことを繰り返すのが日本? そうは思いたくないが、民も官も組織優先で「個」の責任を果たさずに済ませる社会文化に根差すとすれば、簡単ではない。著者は終章で徹底した情報公開、検証の継続などいくつか具体的な提言をしているが、もっともなことばかり。それすら、実現していないのだが……。

 事実を知ることは、未来への出発点だ。このジャーナリストの労作が広く読まれ、真摯(しんし)な対応への参考とならんことを。
    −−「今週の本棚:海部宣男・評 『原発と大津波 警告を葬った人々』=添田孝史・著」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150125ddm015070018000c.html










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