覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『アジア再興−帝国主義に挑んだ志士たち』=パンカジ・ミシュラ著」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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今週の本棚:岩間陽子・評 『アジア再興−帝国主義に挑んだ志士たち』=パンカジ・ミシュラ著
毎日新聞 2015年01月25日 東京朝刊
 
 (白水社・3672円)

 ◇脱西欧の視点から語る近代史

 サッカーのアジア杯を見るといつも思うことがある。イラクやヨルダンって本当にアジアか? 大体FIFAの線引きは、ヨーロッパでもアフリカでもアメリカでもないとこをまとめて「アジア」、と括(くく)ったとしか思えない。しかし、パンカジ・ミシュラの『アジア再興』を読んで、思いを新たにした。やっぱりこの国々はみんなアジアだ。というか、実はアジアはもっと広いかもしれない。

 19世紀を通じて「西洋近代」の挑戦を受け、そのことによって伝統的な精神基盤から切り離され、暮らしや社会を根本的に改変することを余儀なくされ、心を「癒しがたく傷つけられてきた」人々。それが、ミシュラにとっての「アジア人」だ。そこには、ヨーロッパからアジアにかけて広がるイスラム世界も含まれている。このアジアは、様々な王朝、民族、言語、宗教、文化、風土にもかかわらず、西欧産業社会の軍事力・商業力の優越に蹂躙(じゅうりん)され、これにどう立ち向かうか、決断を迫られ続けて来た。徳富蘇峰夏目漱石福沢諭吉が、インド人にこれほどの親近感を持って読まれているとは、思ってもいなかった。

 物語は、日露戦争というプロローグから始まる。極東の小国がロシア帝国に勝利したことは、アジア中で歓喜の声をもって迎えられ、大きな希望をもたらしたという。孫文、ガンディー、ネルー、アタテュルクら次世代の指導者たちは日本の勝利から、世界を征服した白人といえどももはや無敵ではない、という教訓を得たという。そして多くのアジアの思想家・活動家たちが「群れをなして」日本へやってきた。

 これまで「近代史」は、西洋的観点からしか語られることがなかった。しかしミシュラは、アジアの側からも近代を語ることによって、「過去と現在について複眼的観点を持つことを試みる」という。それは、ヨーロッパ中心主義をアジア中心主義的観点で置き換えようという試みではない、と著者は言う。

 この歴史物語は、19世紀後半から20世紀初めに活躍した二人のアジアの思想家・活動家の足跡をたどることで語られる。一人はイスラム世界で活動したジャマールッディーン・アフガーニー。もう一人は近代中国知識人を代表する梁啓超(りょうけいちょう)。アフガーニーは中東、南アジアを中心に、梁啓超は東アジア、アメリカを中心に活躍したため、二人の足取りは、それほど重なることはない。にもかかわらず、そこには確かに同じ苦悩と痛みが存在する。「西欧に挑みかかられた祖国の無知無力に断腸の思い」を抱いた彼らは、祖国を変革するため大衆運動へ身を投じていく。

 そして梁啓超の運命は、日露戦争でアジア人に大きな希望を与えながら、自らも帝国主義に転じていく近代日本と不可分に絡み合う。背景には、英帝国主義に「亡国」とされたインドが存在する。日本に集ったアジアの運動家たちは、第一次大戦パリ講和会議へと向かい、そこでウィルソンの掲げた民族自決の理想と現実の落差に失望する。「一九一九年という年が世界を変えた」と著者は断定する。

 ミシュラの新しさは、その視点と広大な視野にある。彼は歴史家としての訓練を受けていないが、それゆえ思いもよらぬ大胆さで近代アジア史を語ることに成功している。もちろんそこには、一定の図式化と反西洋主義がある。同時に、この物語が英語で語られることによってアジアの共有財産となる、ということもまた、21世紀世界の現実である。常人の想像力を超えた広汎(こうはん)な内容にもかかわらず、訳文は読みやすく格調高い。訳者の労を多としたい。(園部哲訳)
    −−「今週の本棚:岩間陽子・評 『アジア再興−帝国主義に挑んだ志士たち』=パンカジ・ミシュラ著」、『毎日新聞』2015年01月25日(日)付。

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