覚え書:「記者の目:北星学園大・元朝日記者雇用継続=山下智恵(北海道報道部)」、『毎日新聞』2015年01月27日(火)付。

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記者の目:北星学園大・元朝日記者雇用継続=山下智恵(北海道報道部)
毎日新聞 2015年01月27日 東京朝刊

(写真キャプション)元朝日新聞記者の雇用継続を発表する北星学園大の田村信一学長=札幌市で2014年12月17日、山下智恵撮影

 ◇社会一丸で脅しに対峙

 慰安婦報道に関わった元朝日新聞記者の植村隆氏(56)が非常勤講師を務める北星学園大(札幌市)が脅迫された問題で、植村氏を2015年度以降雇用しない方針を示していた同大が一転、雇用の継続を決めた。

 問題が表面化した昨年9月以降、取材を続けてきた私は、雇用打ち切りの意向が示された時「脅迫に屈する形で雇用を打ち切れば、脅した側に『成果』を与えることになる」と危機感を覚えたが、雇用継続と聞いて安堵(あんど)した。

 「大学の自治を守る」「言論の自由を守る」との理念だけでは、大学は毅然(きぜん)とした態度を貫けなかったと思う。市民らの呼びかけで、確かに学内外に支援の輪が広がった。しかし精神的な支えだけでは、大学は耐えられなかった。弁護士有志が法的措置に踏み切り、政府がバックアップ態勢を取るなど、社会が一丸となって脅迫という卑劣な行為に具体的に対峙(たいじ)したことで、大学は決断できたのだと考える。

 同大の田村信一学長は先月、雇用継続を発表した記者会見で、そのことを裏づけるようにこう述べた。「暴力と脅迫を許さない社会的合意が形成されつつあり、卑劣な行為への抑止力となりつつある。大学だけが闘い続けることには限界があったが、公的機関も含めて支援態勢ができ、リスクが軽減された」

 植村氏は記者時代、1991年8月11日付朝日新聞朝刊(大阪本社版)で韓国の元慰安婦の証言を他メディアに先駆けて報じた。朝日新聞は昨年12月、植村氏の記事の「『女子挺身(ていしん)隊』の名で戦場に連行され」とした部分は誤りとして、おわび・訂正した。一方、植村氏は1月9日、記事を捏造(ねつぞう)したと週刊文春に報じられ名誉を傷つけられたとして、文芸春秋などを東京地裁に提訴している。

 ◇大学の支援に市民団体発足

 同大に抗議の電話やメールが届き始めたのは昨年3月ごろ。5月と7月には「辞めさせなければ天誅(てんちゅう)として学生を痛めつける。釘(くぎ)を混ぜたガスボンベを爆発させる」と書かれた脅迫状が虫ピン数十本とともに送りつけられた。

 植村氏は12年度から北星学園大で留学生向けの講義を担当。1年ごとの契約で、昨年9月には、学内の評価機関が全会一致で15年度の契約更新をいったんは決めていた。

 しかし、10月に開かれた大学祭で警備を強化するなど、同大は従来より千数百万円多い費用負担を強いられた。また長時間にわたり怒鳴り散らす抗議の電話への対応などで職員は疲弊していたという。

 こうした事態を受け田村学長は同31日、「学生の安全を確保し、平穏な学習環境を守るため」として、15年度以降雇用しない考えを示した。

 一方で、大学が9月に脅迫を受けている事実を報道機関や学生らに公表して以降、大学を支援する動きが広がった。きっかけのひとつは護憲などの市民運動に携わってきた札幌市在住の女性が知人らに「大学へ応援のメッセージを送ろう」と呼びかけたメールだった。呼応した人たちが同大を応援する市民団体「負けるな北星!の会(マケルナ会)」を発足させた。作家の池澤夏樹さんらが呼びかけ人に加わり、賛同人は20カ国約1200人に達した。

 ◇弁護士加わり文科相も言及

 マケルナ会は当初から大学の自主的な判断を尊重する環境づくりに徹し、「雇用継続を求める団体」と報じられることを嫌った。田村学長や理事会役員らと意見交換し、シンポジウムも開くなかで「精神的な支えだけでなく、脅迫に対する実効的な対策が必要」と感じ、弁護士に相談を持ちかけたという。

 これを受け昨年11月、全国の弁護士有志380人が、脅迫状事件で容疑者不詳のまま札幌地検刑事告発下村博文文部科学相も記者会見で「(脅迫に)負けることがないよう、対応を考えてほしい」と言及した。

 大学が雇用継続に傾いたのは、こうした「予想を超えた大きなうねり」(田村学長)を受けたものだった。

 自分の意に沿わない個人・団体への執拗(しつよう)な攻撃が近年、増えている。別の元朝日新聞記者が教授を務めていた大阪の大学にも昨年9月、同様の脅迫状が届き、元記者は退職した。

 攻撃にさらされた当事者だけでは対応に限界がある。マケルナ会は設立趣意書で「私たちも北星だ」とうたった。脅迫を「わがこと」ととらえた市民が当事者を孤立させず、社会が一丸となって具体的に対処する状況を引き寄せた。今後、誰もが同様の攻撃にさらされる可能性がある。脅迫を許さない社会を守るため、今回が良き先例になればと思う。 
    −−「記者の目:北星学園大・元朝日記者雇用継続=山下智恵(北海道報道部)」、『毎日新聞』2015年01月27日(火)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/m20150127ddm005070016000c.html





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