日記:「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」

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〜 戦後、国民はナチスの残虐行為に対して沈黙。70年代に「過去の克服」が動き出す。政治・経済的に「世界に信頼されるパートナーになれた」という自負が芽生えると、「過去に終止符を打ちたい」という国民感情も。ワイツゼッカー氏が演説で、後の世代も責任を負う覚悟を示したのは、そんな時だ。

ワイツゼッカー元大統領が亡くなった。日本だけでなく、第二次世界大戦後の「良識」の象徴といってよい大統領の逝去が時代を反射させているように思う。

現実の現在ドイツで反イスラムデモ等々の問題があるとはいえ、それ以上のカウンターを必然している。それはトータルとして(=公共言説として、物語といってもいいかもしれない)バックラッシュを厳しくかつ柔軟に退けた歩みであったといってよいでしょう。

そうしたドイツに比べると問題は多いし、その歩みは微々たるもののが日本の「戦後」でしょうが、それでもかすかに「良識」の息吹があったことは否定できない。

しかし、それは、1995年以降壊滅状態になり、その巨悪の拡散が「今」ではないかと思う。

高校3年のとき、ベルリンの壁が崩壊してさ、世の中はよくなっていく…F・フクヤマ的なオチと同義ではなく…そのために尽力しなければいかんよなあと思って、自分では真面目に学問して発信してきたつもりですけど、気付いたら「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」のリアリティという今。絶句しますよ。



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演説の力、歴史に刻む ワイツゼッカー元大統領追悼式
2015年2月13日

(写真キャプション)独ベルリンの大聖堂で11日、ワイツゼッカー元大統領の国葬が開かれ、メルケル首相(右から3人目)らが参列した=ロイター


 「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」。歴史に残る名演説で戦争犯罪に真摯(しんし)に向き合うよう説き、先月31日に94歳で逝去したドイツのリヒャルト・フォン・ワイツゼッカー元大統領。ベルリンで11日に公式追悼式が営まれ、参列者は「同国で最も敬愛された人物」(メルケル首相)との別れを惜しんだ。

 ■戦後ドイツの歩み、体現

 ベルリンの大聖堂で行われた式典には、ガウク独大統領やメルケル首相、英国のメージャー元首相、ポーランドワレサ元大統領ら国内外から約1400人が参列した。ガウク氏は「ドイツの歴史がワイツゼッカー氏をつくりだし、彼自身がドイツの歴史に大きな足跡を残した」と功績をたたえた。

 「荒れ野の40年」と邦訳された有名な演説は、敗戦40年にあたる1985年5月8日に連邦議会で行われた。その中で、ワイツゼッカー氏は「罪があってもなくても、我々全員が過去を受け入れなくてはならない」としたうえで、「過去に目を閉ざす者は、現在にも盲目となる」と訴えた。

 戦後のドイツは、過去の克服なしに近隣諸国との和解、国際社会への復帰は不可能だった。演説は、40年たった後も、過去を忘れることのないよう求め、戦争を知らない世代にもナチスによるユダヤ人らの大量虐殺(ホロコースト)の残虐性と、それを許した責任を直視する重要性を説いた。

 その言葉は、ドイツの人々の良心を呼び起こし、国際社会で感銘を呼んだ。

 メルケル首相は追悼声明の中で、この演説について「ドイツ人が自分自身を理解するための重要な指針を示してくれた」と語った。

 ワイツゼッカー氏は20年、独南部シュツットガルト生まれ。第2次世界大戦に従軍し、ポーランド戦線で兄を失った。戦後は、ナチス政権で高位の外交官だった父親が戦争犯罪者として裁判で有罪判決を受けた。

 84年に旧西独大統領に就任し、統一ドイツ初の大統領として94年まで務めた。

 ドイツの戦後の歩みを象徴する波乱に満ちた生涯は「世紀の目撃者」(ガウク氏)とも評される。独大統領は儀礼的な権限しか持たないが、自らの経験に根ざした数々の名演説を残し「政治的な大統領」としても知られた。89年の大統領選では、同国史上初めて対立候補がなく再選された。

 ■戦争責任負う覚悟、内外に

 第2次大戦後のドイツはフランスなど周辺国との和解に努めてきた。今でこそ経済大国として「欧州の盟主」と呼ばれるまでになったが、道のりは決して平坦(へいたん)ではなかった。

 戦後しばらく、国民はナチスの残虐行為のすさまじさに対して沈黙した。戦犯は連合国によるニュルンベルク裁判などで裁かれたが、東西ドイツ分断もあってドイツ自身の戦争犯罪の追及は進まなかった。

 専門家によると、「過去の克服」が本格的に動き出したのは1970年代だ。旧西独のブラント首相が70年、ポーランドワルシャワを訪れ、ユダヤ人犠牲者の記念碑前でひざまずいて献花した。その姿は、世界に「新しいドイツ人」を印象づけた。当時は「屈辱外交」との非難もあったが、その後、市民レベルでもナチス戦争犯罪に関心が高まった。戦争を肌身で知らない若い世代も教育の中でナチスの過去を学んだ。

 他方、政治・経済的に「世界に信頼されるパートナーになれた」という自負が芽生えると、「過去に終止符を打ちたい」という国民感情も強まった。ワイツゼッカー氏が演説で、後の世代も責任を負う覚悟を示したのは、そんな時だ。独再統一や旧ソ連からの防衛などのために、西側諸国を安心させる必要もあった。

 独ベルリン自由大学のハヨ・フンケ元教授は「(過去の克服は)外からの影響もあるが、大部分は国内のせめぎ合いの中で議論し、選びとってきた。適切な道を探るための文化的な闘いともいえる」と話す。(ベルリン=玉川透)

 ■過去も現在も、冷静に直視<評伝>

 「ドイツは9カ国に囲まれている」

 私がインタビューした際にワイツゼッカー元大統領はこうよく口にした。ナチスの蛮行が欧州を血に染めた過去、さらに冷戦時代には旧ソ連圏と欧米との間に挟まれた。周辺国の人々に与えた悲惨さをきちんと心に刻み克服していかなければ、周辺国との友好関係は生まれない。ドイツを欧州の中で突出させず、仲間として位置付けること、それに生涯をかけた政治家としての強い意志を感じた。

 だからこそ、元大統領にとってドイツが降伏した1945年5月8日は、「解放の日」だった。ナチスによる暴力支配からドイツと欧州の人々が解き放たれ、新しい平和な欧州を築くスタート地点と元大統領は言った。その総仕上げがドイツ統一だった。

 キリスト教民主同盟(CDU)という保守政党に属した政治家だ。日本の8月15日を、「解放の日」と言い切る保守の政治家が日本にどれほどいるだろう。

 2000年になって元大統領は、独連邦軍の改革を目指した政府諮問委員会の委員長となり、国連の平和維持活動など海外での軍事貢献を広げる提言をまとめた。後に独連邦軍バルカン半島アフガニスタンに千人規模の兵力を派遣するきっかけを作った。世界の安全保障にも積極的に関与していくドイツの責任を強調する元大統領に、現実を直視する政治家の姿をみた。

 ドイツ統一10周年だったその年に会うと、元大統領は「統一が本当の意味で完成するには1世代、つまり約30年の年月が必要だ」と語った。今年は統一から25年。元大統領にとって今のドイツはどう映っていたのか。博物館や美術館が集まるベルリンの名所「博物館島」近くにある事務所で、もう一度尋ねてみたかった。

 05年に早稲田大から名誉博士号が贈られたときに再会した元大統領は、「英語のほかにもう1カ国語は操れるようになって欲しい」とグローバル時代を生きる次世代の日本の若者へのメッセージを率直に語ってくれた。

 相手の話にじっと耳を傾け、新し物好き。インタビューの時、私が持参した日本のデジタルカメラに強い関心を示し、どう操作するのか、と尋ねながら元大統領がシャッターボタンを押して写した写真が手元にある。「新聞が売れず、メディアに厳しい時代になったかもしれないが、現実をきちんと見つめて伝えていくことが大事ですよ」。別れ際に元大統領が語った言葉を心に刻みたい。(古山順一・元ベルリン支局長)

 ■<考論>国家・世代つなぐ懸け橋 グンター・ホフマン氏(独ジャーナリスト)

 ワイツゼッカー氏は、戦後のドイツが信頼を取り戻すうえで、大きな役割を果たした大統領だった。

 世界とドイツ、特に東欧諸国とのマクロな次元の信頼関係だけでなく、人間どうしというミクロな次元まで信頼関係を築くことができる人物だった。

 別の座標軸で例えるなら、国家間や国際的という横軸で懸け橋を築くとともに、古い世代と新しい世代という縦軸でも懸け橋を築き上げたといえるだろう。

 戦後40年当時のドイツは、過去の責任についての見解が国民の間でも一致しておらず、大多数のドイツ人はナチスの残虐行為を振り返ることを恐れていた。

 だがワイツゼッカー氏の1985年の演説で、「我々ドイツ人は過去に対して責任を負わなくてはならない」という意識を明確に持つようになった。

 政治家ではあったが、権力志向の人ではなかった。プロテスタントの教会で培われたであろう信条や行動原則を、政界で実現した数少ない人物だった。(聞き手・玉川透)

 ■<考論>他者への寛容呼びかけ 小野耕二氏(名古屋大大学院教授〈ドイツ政治〉)

 ワイツゼッカー氏はドイツ統一の理想を体現した、ドイツの良心といえる政治家だった。

 ドイツでは、大統領には政治的実権がなく、統一へ向けた政治的な役割はコール元首相のほうが大きかったといえる。しかし、欧州の周辺国から信頼されたワイツゼッカー氏が果たした役割は小さくない。ドイツが統一後、大きな政治的、経済的勢力になり、かつてのような脅威を与える国になるかもしれない、という周辺国の危惧を払拭(ふっしょく)できたのは、ワイツゼッカー氏の存在が大きかった。

 ワイツゼッカー氏は、他者に対して寛容な心を持つよう呼びかけた。かりに違和感や意見の違いがあったとしても、嫌悪感を増幅させずに、自分とは違うものとして受け入れる。そして相互理解を深めることで対立を和らげ、平和的な世界をつくりたいという理想を持っていた。宗教対立やイスラム過激思想が引き起こす問題に直面している現代の私たちが学ぶべきことは多い。(聞き手・益満雄一郎)
    −−「演説の力、歴史に刻む ワイツゼッカー元大統領追悼式」、『朝日新聞』2015年02月13日(金)付。

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http://www.asahi.com/articles/DA3S11598807.html


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