覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『佐藤泰志−そこに彼はいた』=福間健二・著」、『毎日新聞』2015年02月15日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『佐藤泰志−そこに彼はいた』=福間健二・著

毎日新聞 2015年02月15日 東京朝刊


 (河出書房新社・3132円)
 ◇書く孤独見据える共感と信頼

 佐藤泰志は一九九〇年十月、四十一歳で自死を選んだ。函館に生まれ、高校生の頃から随筆、詩、短歌、そして小説と全方面に意欲を燃やしながら、しかし小説家としての将来の姿をつねに見つめていた書き手である。近年その存在に新しい光が当たりはじめ、代表作の復刊や映画化が相継いでいる。若い熱心な読者も増えているようだ。

 本書はその佐藤泰志と二十代半ばに知り合い、ともに歩んできた詩人による散文作品である。評伝、とは呼びたくない。そういうくくり方では整理できないもっと切実ななにか、そこからはみ出してしまうなにかが、ここにはたくさん含まれている。

 語りはつとめて冷静でやわらかいと言ってもいいのに、ときどき息が苦しくなるような瞬間が訪れる。たぶんそれは、まだ二十代の詩人の声が漏れ聞こえてくるからだろう。高校時代に書かれた「市街戦のジャズメン」から、未完に終わった『海炭市叙景』に至るまで、一九四九年という同年生まれの友人の作品を編年で丁寧に読み込みながら、身近なライバルがまだすぐ眼(め)の前にいるみたいに、ここがすばらしいと褒め、ここはまだ言い足りないと批判する。批評や解説というよりも独り言を口にするリズムで、ふたりだけの熱い読書会を重ねている気配なのだ。

 友情と嫉妬とうっとうしさと畏敬(いけい)の念のすべてがまじりあった、大きな理解の溶岩が行間からあふれる。そして、すぐに冷えて固まる。固まったものがまたくだかれ、つぎの言葉に盛られていく。書いている現在の視点から、かつての読みの未熟さが素直に提示されることもある。その往復運動は、最後の頁(ページ)まで持続し、どの作品に対してもほぼ等距離が保たれているので、全体が読本(とくほん)としても読めるようになっている。読みものとしての山場の回避は、両者のやりとりがこれからもまだつづくことを暗示しているようだ。

 一貫してぶれていないのは、佐藤泰志が、書くということにまとわりつく孤独を抽象化せず、「言葉と現実のあいだの、簡単には切り抜けられない難局としてのこの孤独の前に立ちふさがるもの」を見据えていたことに対する共感と信頼である。言葉で生むべきもの、生んでしまったものの乗り越えは、なにをどう弁明しても言葉で果たすしかない。佐藤泰志がひとつひとつの作品を通してどのように戦い、どのように勝ち、どのように負けているかを、著者はつぶさに見ていく。

 あとがきに触れられているとおり、本書には「生成変化」というジル・ドゥルーズ経由の用語が、微調整をほどこされたうえで多用されている。しかし、これはむしろ対象と書き手の関係そのものにあてはめてみたくなる言葉だ。一九七〇年代なかば、著者が佐藤泰志と出会った頃、「二人に共通の、あこがれの作家として」視野に入ってきたのが野呂邦暢(くにのぶ)だった。野呂の『一滴の夏』の影響下に、若い詩人は「その理由を踏む靴にこぼれる/一滴のあこがれのために」という詩節を書き、それが未完に終わった『海炭市叙景』の「一滴のあこがれ」につながっていった。『海炭市叙景』の小題はすべて著者の詩集から採られている。こうした相互浸透こそ、読み手と書き手における「生成変化」であり、存在の弾力としての言葉の「伸び」の一種ではないだろうか。

 副題の「そこに彼はいた」は「彼はそこにいる」と、ほぼおなじ意味である。書き手にとってのいまをより際立たせるための、これは最も切実な過去形の用法かもしれない。
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『佐藤泰志−そこに彼はいた』=福間健二・著」、『毎日新聞』2015年02月15日(日)付。

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佐藤泰志 そこに彼はいた
福間 健二
河出書房新社
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