覚え書:「今週の本棚:池澤夏樹・評 『フィルムノワール/黒色影片』=矢作俊彦・著」、『毎日新聞』2015年02月22日(日)付。

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今週の本棚:池澤夏樹・評 『フィルムノワール/黒色影片』=矢作俊彦・著
毎日新聞 2015年02月22日 東京朝刊



 (新潮社・2484円)

 ◇銀幕の夢踊る 忙しいなら「手を出すな」

 この何十年かちゃんと映画館に通って映画を見てきた者がこの小説の罠(わな)に落ちる。いくら読んでも終わらず、出るに出られなくなる。

 基本線はハードボイルドのミステリーである。探偵役の二村永爾は刑事くずれで、殺人現場に立ち会ったり、殴られたり、女たちに誘惑されたり、酒を飲んだりしながら謎を追う。舞台は横浜と香港。

 スタートはお約束どおり美女からの依頼−−「男を探してほしいのよ」

 この美女は桐郷映子(きりさとあきこ)という映画女優。一ページ目から最後のページまで、この小説は映画まみれだ。すべての場面が映画をなぞっており、映画の文法に従っており、往年の名画への言及があり、俳優と女優と監督その他の映画関係者の名がかぎりなく並ぶ。

 娘に映子すなわち映画の子という名をつけた父は桐郷寅人(きりごうとらうど)という映画監督だった。終戦までは満映にいて帰国、一九七〇年頃から香港に移り、森富拿(センフナー)という名で映画を制作して、その後の香港映画繁栄の礎を築いた。そして事故で死んだ(とされている)。

 その後、彼が最後に撮った『作品42』はなぜか公開されないまま消えてしまった。それが今になって香港でオークションに出るとわかって、桐郷映子はこの父の遺品を手に入れようと、身近にいる若い俳優伊藤竜矢に金を持たせて香港に送り出した。彼は消息を絶って連絡が取れなくなった。だから探して欲しいというのが彼女の依頼。

 二村はこの話をひとまず断る。しかしまったくの別件と思っていた殺人事件の目撃者珠田真理亜は伊藤竜矢の母で、その父は満映の制作部員だった。しかも彼女と二村の目の前でまた殺人が行われる。かくて二村は香港に行かざるを得なくなる。ここまでで全体の六分の一。その先の香港の冒険は長くて高密度でとことん映像的。

 このストーリーに厖大(ぼうだい)な映画の蘊蓄(うんちく)ないしトリビアが混入する。先に映画関係者の名がかぎりなく並ぶと書いたが、数えてみるとほぼ百五十名。しかもエースのジョーこと宍戸錠などご本人が登場して活劇を演じるのだ。

 人名だけではない。「数寄屋橋に佇(たたず)む女のスカーフ」とあれば『君の名は』を想起しなければいけないし、「黄色く塗られた煉瓦の小径(こみち)」は『オズの魔法使』への言及である。「虎の尾を踏むような」といえば一九四五年に黒澤明が映画化した『虎の尾を踏む男達』、主演は大河内傳次郎榎本健一森雅之進駐軍が公開を禁じたことで知られる作品。香港が舞台の話でジェニファ・ジョーンズの名が出れば『慕情』を思い出さずにはいられない。ついでにあの曲も聞こえてくるだろう。

 会話がまた一々キザでかっこいい。かつて和田誠が『お楽しみはこれからだ』シリーズにまとめたようなシナリオの決め台詞(ぜりふ)がページごとに再現される。

 「あなた、まさか彼を疑っているんじゃないでしょうね」

 「疑ってはいません。誰も平等に信じていないだけです」

 あるいはマニュアル・シフトの車を運転できない女性警官が「駄目です。この車、ペダルが一個多いし」と言う。

 こういうことを実人生で言ってみたいものだ。

 日本の映画史に重ねれば、『作品42』が公開されなかった理由は高倉健から菅原文太への移行に似ている。ヤクザの実録物はやばいのだ。

 こういうわけで、暇でない時には「この小説に手を出すな」。主演ジャン・ギャバンと言うまでもない。
    −−「今週の本棚:池澤夏樹・評 『フィルムノワール/黒色影片』=矢作俊彦・著」、『毎日新聞』2015年02月22日(日)付。

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