覚え書:「耕論:歴史教育、豪州の教訓 ジョン・ハワードさん、ゲーリー・フォーリーさん」、『朝日新聞』2015年02月18日(水)付。

5

        • -

耕論:歴史教育、豪州の教訓 ジョン・ハワードさん、ゲーリー・フォーリーさん
2015年2月18日

 国の歴史には光もあれば影もある。自国の歴史を若い世代にどう伝えるかは、どこの国にとっても重たい課題だ。先住民への残虐行為を巡って「歴史戦争」とも呼ばれる論争が続くオーストラリアから、私たちは何を学ぶべきか。

 ■成功した事実にも目を向けよ ジョン・ハワードさん(元オーストラリア首相)

 教育というものは、国家にとって、非常に、非常に大切なものです。だからこそ、オーストラリアの歴史については、客観的に、事実に基づいて教えてもらいたい。

 私が首相就任後の1996年に、演説で(入植者による先住民への残虐行為を教えるべきだという)「黒い喪章史観」に言及したのは、豪州の歴史はとても前向きなものだと伝えたかったからです。欧州からの入植がなければ、豪州が繁栄した西洋国家になることはありませんでした。

 先住民のアボリジニーが経験した問題や損失を、正しく評価するのに時間がかかったことは認識しています。でも、それはこの40〜50年で非常に改善されました。西洋文明の一員として、私たちの倫理観はユダヤ教キリスト教的な価値観から来ています。それを認識しつつ、先住民の歴史をより理解すべきだと思います。

 もちろん豪州は世俗社会ですし、皆にそう信じろと言っているのではありません。でも、各種制度やマナー、ユーモアのセンスにいたるまで、英国による影響が大きいのは間違いありません。

     *

 <移民は同化必要> 私の前任者(労働党政権のポール・キーティング元首相)や彼の支持者たちは、豪州の過去に関して謝罪の意が強すぎ、非常に否定的に描こうとする傾向がありました。「歴史戦争」論議が起きたとき、過去の問題を含めたあらゆることを、豪州という国家としてのアイデンティティーに結びつけて大げさに語った人々もいました。

 国家というものは、自国で過去に起きたことについて、客観的に対処するしか選択の余地はありません。豪州の歴史を考えるとき、肯定的なことが否定的なことよりずっと勝っているのは確かです。豪州史とは人種差別主義と性差別主義と帝国主義の繰り返しだ、という考え方はばかげています。

 私の立場は、豪州は素晴らしく成功した国であるという楽観的なものです。平等主義で近代的な社会をつくるのに成功し、世界でも評価されている。女性が(まず南オーストラリア州で)参政権を持ったのは、英国や米国やアジアより早い19世紀末でした。

 世界中から集まった人々を、調和した形で定住させることもできました。人種差別的な人もいますが、多くはありません。ほとんどの豪州人は寛容ですが、同時に、だれがこの国へ来るべきなのかを決める権利も持っています。

 私は移民を支持しますが、「多文化の連邦国家」や「多文化主義」という考え方は好きではありません。その国に来たら同化し、統合されるべきだと思うからです。その国の価値観や態度を抱擁すべきです。

     *

 <水に流せるはず> 現行の全国統一カリキュラム(教育課程)にも不満はあります。私は首相時代の2007年、当時進められていたカリキュラムの見直しを命じました。豪州で起きたことや業績について十分に適切な内容でなく、問題点ばかりを教えすぎていると思ったからですが、政権交代で実現しなかった。

 今のカリキュラムでは、先住民やアジアの歴史を完全に理解させようという試みが多すぎる。もっと英国の歴史を知り、私たちの言語や議会制度や法律や報道の自由などは、英国から受け継いだものだということを理解すべきです。

 日本の過去については、議論が続いています。日本と東アジアの関係は、二つのレベルから見るべきだと思います。まず、自国の歴史について自国民にどう教えているのか。それから、他の国々の歴史と経験にどうつきあうかという問題です。

 第2次世界大戦でのアジアの歴史や、中国との長く残虐な戦争で日本がしたことをみれば、非常にデリケートな問題であることは明らかです。それは日本と中国で解決するしかありません。日本は北部のダーウィンシドニー湾を攻撃したが、豪州本土を侵略したことはありません。これは、アジアの国々との大きな違いです。

 今の日豪関係は非常に良好ですし、個人的にも日本を非常に肯定的に受け止めています。でも、第2次世界大戦の歴史を無視することはできないのです。ただ、忘れることはできなくても、過去は水に流せると信じています。

     *

 JOHN・HOWARD 39年シドニー郊外生まれ。シドニー大法学部卒、74年に下院議員初当選、95年に自由党党首。96年3月から2007年12月まで首相。

 ■負の過去を知っても前向きに ゲーリー・フォーリーさん(アボリジニー出身のビクトリア大学准教授)

 オーストラリアの歴史教育を語る際、1788年に英国が入植してからの最初の150年間の歴史を理解することが重要です。この時期にアボリジニーの人々が経験したことは歴史の教科書から除外され、無視されてきました。

 「オーストラリアはクック船長に発見されました」と教えるのは、アボリジニーの存在を否定したことになります。8万年前から住む人々がいる土地を、「新たに発見」することなど不可能です。

 私は1950年代に東部ニューサウスウェールズ州の学校で勉強した世代ですが、唯一教わったのは「英国人の入植が始まる前にアボリジニーの人々がいました。彼らはブーメランを投げ、裸で歩き回っていました」というものでした。英国人によるアボリジニーへの略奪や残虐行為については、何も教わりませんでした。

 60年代半ばにようやく、何人かの歴史家が植民地化以降のアボリジニーの歴史についての著述を始めました。その結果、70年代初めまでの短い期間ですが、アボリジニーの経験について学校で教えられるようになりました。

     *

 <先住民への挑戦> その後、白人の反動が始まりました。一部の学者や政治家が、歴史の真実を学校で教えることに反発し始めたのです。この巨大な反動は後に、「歴史戦争」と呼ばれるようになりました。植民地化における残虐性の事実の否定で、アボリジニーの体験への挑戦です。私は(白人による建国の成功を強調する)「白い目隠し史観」ではなく、もっと直接的に「白豪の巨大な否定主義」と呼んでいます。

 私は豪州はもともと、非常に人種主義的な国だと思っています。入植者が到着した当時、約300ものアボリジニーの言語がありました。いま、残っているのは30〜40言語にすぎません。どれほど入植者がアボリジニー文化を根絶やしにしたのかわかるでしょう。

 アボット首相が率いる現在の保守連合政権は、ウソを教えようと懸命です。パイン教育相は、歴史戦争で人種差別主義的な方の支持者です。

 私が腹がたつのは、豪州政府の政治家たちが日本人やドイツ人に対して、「歴史の真実を教えるべきだ」と説教していることです。自国のカリキュラムに歴史の真実を盛り込まない人たちが、よく日本やドイツに意見ができるものだとあきれてしまいます。

 私はいま大学で歴史を教えていますが、「君たちは人種差別主義者で、これが真実だ」などと伝えることはしません。資料の探し方を教え、どこへ行けば異なる考えに接することが出来るか教えます。政府公認のバージョンと別のバージョンの両方を読むように勧めます。すると彼らは、それまで教わってきたことが単純に間違いであることに気づくのです。

     *

 <若い世代に期待> 真実を知った白人学生の90%は非常にショックを受けますが、ほとんどは非常に前向きに受け止めます。私の教え子の多くは歴史の教師になり、全国で正しい歴史を教えています。負の過去を知っても、将来に前向きになれるのです。

 アボリジニー社会で育った子どもたちは、歴史を家族史の一部として自然に学びます。歴史を口述で伝える習慣は今も続いており、学校でウソを教わっても家庭で真実を聞いているので防御ができます。気の毒なのは、ウソを信じるしかなく、大人になって授業と真実の間で混乱する白人の子どもの方です。

 ハワード元首相を代表とする多くの政治家は「歴史の真実を教えたら生徒は嫌がる」と思っています。でも、それは間違いです。私の教え子たちは、アボリジニーについてだけでなく「歴史とは既得権利による操作や虐待の対象になるものだ」と理解しています。そして、自分は何者なのか、自分が住む社会、国は何なのかを自力で考え、理解できるようになるのです。こうした変化を若い世代に与えることで、よりよい豪州国民を育てていると信じています。

 古いタイプの政治家たちは与野党両方にいますが、自国の歴史を知らなすぎます。これから中学へ進学するような若い世代が大人になるころ、全国レベルで歴史についての真実を理解し始めるようになるかもしれません。

     *

 GARY・FOLEY 50年ニューサウスウェールズ州北部グラフトン生まれ。10代から先住民アボリジニーの人権回復の活動を始める。先住民を描いた劇などで脚本や出演も。

 ■日本にも通じる歴史観の対立

 18世紀に入植が始まった豪州は、1901年に連邦国家になった。約70年続いた白人優先の白豪主義時代の歴史観は、歴史家のG・ブレイニーが「距離の暴虐」で指摘した他の世界からの時に絶望的な遠さと、作家のD・ホーンが鉱物資源の豊富さから皮肉を込めて呼んだ「幸運な国」が代表的だった。

 ハワード元首相が火を付けた歴史戦争や、日本の自虐史観歴史修正主義を連想させるような「黒い喪章」と「白い目隠し」の歴史観対立は、主に保守・リベラル間の白人同士の論争だ。そこにはフォーリー准教授が指摘するように、何万年も前からいる先住民アボリジニーの人々は存在しない。

 豪州統計局が先月末に発表した移民動向調査によると、海外生まれの国民が全体の28%に達した。出身国で一位の英国が全人口比で微減した一方、3位中国は10年で2倍以上に増えて45万人になった。移民構成が変化する中、歴史教育の見直しも始まっている。

 労働党政権時代の2010年には初の全国統一の教育課程が制定され、先住民に関する記述がかなり盛り込まれるようになった。たとえばシドニーの10年生(高校1年)向けの14年版歴史教科書では、「戦後の権利と自由」の章で米キング牧師らの写真のほか、アボリジニーの権利回復を訴えるデモの写真も載っている。

 ハワード氏は「万人が満足できる歴史教科書などない」と言った。それでも、「負の過去認識は前向きな将来展望を妨げない」というフォーリー氏の言葉は重い。

 (郷富佐子)
    −−「耕論:歴史教育、豪州の教訓 ジョン・ハワードさん、ゲーリー・フォーリーさん」、『朝日新聞』2015年02月18日(水)付。

        • -


http://www.asahi.com/articles/DA3S11606976.html





51

Resize1338