覚え書:「今週の本棚:池内紀・評 『くりかえすけど』=田中小実昌・著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。
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今週の本棚:池内紀・評 『くりかえすけど』=田中小実昌・著
毎日新聞 2015年03月15日 東京朝刊
(幻戯書房・3456円)
◇体験が熟するまでの彷徨
小さな出版社が大きな試みを始めた。「銀河叢書(そうしょ)」といって、単行本未収録を新しい視点で編み直す。シリーズのはじめは「戦争を知っていた作家たち」。戦後七十年の今年を、きちんと見据えている。まず二冊でスタートをきった一つは、まっ黒の地色にタイトルと著者名が小さめの白ヌキ文字になっている−−そっと小声で語りかけるぐあいだ。
田中小実昌(こみまさ)(一九二五−二○○○)は旧制高校のとき、徴用年齢が「くりさげ」になって兵隊にとられた。大日本帝国陸軍のいちばん若い、いちばん最後の兵卒である。昭和十九年(一九四四)十二月、入営。朝鮮、南満州を経て中国大陸に入ってのちは、果てしのない行軍。アメーバ赤痢、チフス、天然痘、コレラ。敵よりも戦場の病に攻め立てられたが、田中二等兵はフシギに死ななかった。そして二等兵のまま帰還した。
自分の体験にもとづく小説を書き出すのは、二十年あまりたってからである。とびきり痛切な体験が作品となるまでに、それ相応の時間が必要だ。おおかたの体験者が時流に合わせ、早々と、競い合って披瀝(ひれき)したなかで、田中小実昌はわが身にじっとたくわえていた。一九七○年代になって、誰もが戦争などなかったか、まるで忘れたふりをするようになったころ、独特の語り口による小説を書き出した。とりわけ語りたいことは何度でもくりかえした。くりかえし語るに値することは、くりかえし語っていいのである。人間というのは、不都合なことはすぐに忘れる生きものであるからだ。
ここには十篇が収めてある。その召集からして、田中二等兵はつねに初年兵だった。同輩がつぎつぎに死んでいく。行軍で落ちこぼれると確実に死が待っていた。歩きながら倒れて死んだ。ひっきりなしに下痢をして、そのまま死んだ。ある日、旅団長以下、軍の幹部たちが戦場視察にやってくる。直立不動の兵士と「金モールのいくらか宝塚調の参謀肩章をつけた旅団参謀たち」。
「あーあ、ぼくは、どんな処罰をうけるのだろう。大尉で、陸士出でもない大隊長殿の顔もおがんだことのない初年兵のぼくが、陸軍少将の旅団長閣下に小便をひっかけたとなると……」
金モールで飾り立てた参謀たちの視察旅行は宝塚の公演旅行とかわらない。彼らにとって兵士の死は虫一匹死ぬほどの意味もない。令状一枚で代わりをいくらでもかり出せる。軽妙なエピソードを通してトボけた笑いが封じこめてある。きわめて正しい書き方だろう。まともに批判などすれば、こころならずも相手に威厳を与えることになるからだ。
年齢くりさげで戦地へ送られたのが、帰ってくると、くり上げ卒業で大学に籍がうつっており、東大文学部哲学科に復学。ただし当人の言いまわしによると、学校へ行ったのは「二時間ぐらい」。食わんがための戦場が待っていた。劇場の雑用係、兵隊食堂の雑役、香具師(やし)の易者になりすまし、テキヤの子分として地方を廻(まわ)ったこともある。あるいは基地の爆弾運搬の仕事。
「ぼくは希望みたいなことは考えない。失望してもいない。誇りはない。誇りなんていらない。敗戦二年目の夏に近い日だ」
「コミさん」の愛称で親しまれた人のひそかな厳しい素顔にあたる。さんざっぱら浮き世三界(さんがい)を彷徨(ほうこう)した。生涯かけた地上のうろつきを、くどいようにして書きとめた。田中小実昌のくりかえしは、現場検証のあと警察が、犯罪のあとの特定のためにチョークで線を描くのと似ている。リチギに何度でも、納得のいくまで白い線を引き直した。
−−「今週の本棚:池内紀・評 『くりかえすけど』=田中小実昌・著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。
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http://mainichi.jp/shimen/news/20150315ddm015070003000c.html