覚え書:「今週の本棚:沼野充義・評 『氷』=ウラジーミル・ソローキン著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。

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今週の本棚:沼野充義・評 『氷』=ウラジーミル・ソローキン著
毎日新聞 2015年03月15日 東京朝刊

 (河出書房新社・2592円)

 ◇ロシア現政権と対極の「モンスター」

 ロシア文学と言えば、ドストエフスキートルストイチェーホフなどはいまでもよく読まれているが、有名なのはもっぱらこういった古典的な作家に限られる。それでは現代の、プーチン政権下のロシアにはいったいどんな作家がいて、どんな作品を書いているのか、ということになると、一般にはほとんど知られていないのではないだろうか。

 ウラジーミル・ソローキンの名前は、そういった疑問に対する一つの回答になるかもしれない。最近翻訳された長編小説『氷』は、彼が切り拓(ひら)きつつある新境地を示す作品で、全四部からなる。一番長く、全体の半分以上を占める第一部の舞台は、現代のロシア。学生、売春婦、ビジネスマンといった、共通点のほとんどない人たちが次々と、カルト教団か秘密結社を思わせる、謎の金髪碧眼(へきがん)の人々のグループに捕まって、暴行されるという事件が起こる。捕らえられた者は青い氷でできたハンマーを胸に打ち付けられ、「心臓(こころ)で語れ」と呼びかけられるのである。すると不思議なことに、彼らの心臓が−−口ではなく−−彼らの本当の名前を語り出すのだ。

 この第一部は現代ロシアの世相を描いたポップな小説として読めないこともない。しかし、氷のハンマーとは何なのか。金髪碧眼の一味は一体何者なのか。それが解き明かされるのは、ワルワーラという女性が自伝的に生涯を語った第二部においてである。彼女が住んでいた田舎の村は第二次世界大戦中にドイツ軍に占領され、彼女はドイツの収容所に送られるが、氷のハンマーで打たれて、「覚醒」する。実はそのように覚醒できるのは、本物の心臓を持ったごく一部の人間だけで、彼らは本当は二万三千の煌(きら)めく「原初の光」の束の末裔(まつえい)なのだ。それ以外の大部分の人間は、生ける屍(しかばね)に過ぎない。

 心臓の「兄弟団」に加わったワルワーラは、ソ連に帰り、秘密警察の職員となって心臓の兄弟姉妹を探し続けながらスターリン時代を生き延びる。その後は早回しの映画のように時代が変わっていき、ついにソ連崩壊後のエリツィン時代にまでたどり着く。その間に兄弟団は着々と数を増やしていき、まもなく「原初の光」に回帰できる見通しらしい。

 このすさまじくも愉快で、奇想天外な物語は、何なのか。全体主義と戦争の災厄に対抗するような、光による創世神話の試みだろうか? 腐敗した人間たちが闊歩(かっぽ)する現代文明に対する痛烈な皮肉だろうか? 危険な香りが漂う、新たなカルトか? かつて、凄惨(せいさん)な暴力、変態的な性や糞尿(ふんにょう)趣味などのすさまじい描写によって、現代ロシア文学の「モンスター」の異名をとったソローキンが、いまや「心臓で語る」ことを尊ぶ、「新たな誠実さ」の唱道者となったのだろうか? いずれにせよ、これは二十世紀ロシアの政治と歴史の悲劇、そしてロシア文学の伝統的なモラルを前提としながらも、そのすべてをいったん「ちゃら」にしたところで初めて可能になるものだ。

 彼が現代ロシア最高の作家であると言いたいわけではないが、この国でなければとうてい生まれなかったような特異な作家という意味では、現代ロシアを<代表>する作家の一人と呼んでいいだろう。既成の価値観や権威が崩されてしまったあとの荒れ地から、いったい何が生まれるのか? プーチンの政治がその一つの極だとすれば、反対の極にあるのがソローキンの文学である。それにしてもロシアは極端な国だ。(松下隆志訳)
    −−「今週の本棚:沼野充義・評 『氷』=ウラジーミル・ソローキン著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。

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