覚え書:「論点:地下鉄サリン事件20年」、『毎日新聞』2015年03月13日(金)付。

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論点:地下鉄サリン事件20年
毎日新聞 2015年03月13日 東京朝刊

 オウム真理教による地下鉄サリン事件の発生からまもなく20年になる。若者がカルトに走る社会的背景や、テロ対策の脆弱(ぜいじゃく)さ。事件が突きつけたさまざまな課題で、教訓はどこまで生かされているのか。

 ◇悩む若者、拙速な結論避けて 西田公昭・立正大教授

 オウム真理教が登場した1980年代当時の若者は、バブル期と青春時代が重なる。団塊の世代とも、学生運動後の「シラケ世代」とも異なる人生モデルを模索する中で、幸せになるためには「社会」の変革を諦め、「個人」の変革を求める方が良いのではと、若者の視点が移った時代だった。しかし当時は誰も、カルトについての知識が不足していた。

 そうした時期にオウムはヨガブームに乗じて精神的な改革をうたった。実際、修行をすれば意識の面での変化が起こった。伝統的な「葬式仏教」には否定的でも、そんな自己変革が実感できたオウムという宗教には若者の志向がぴたりとはまったのだと思う。

 若者はいつの時代でも、自分の人生や社会のあるべき姿を見つけようと焦って行き詰まりやすいものだ。成長するにつれ、心身ともに大人と同等の力を身に着け、万能感に満ちていく一方で、解決困難な現実も見えてくる。幸せの意味を考えた結果、金にまみれて私欲を満たすだけの成功よりも、煩悩を滅する修行をして自己変革を目指すようになる。オウムの思想は、そのように価値観を転換するものだと若者は感じたのだろう。

 例えば若くして教団幹部になった井上嘉浩死刑囚は、自分は卓越した修行者だと自負し、他人に「上から目線」であったと思う。オウムは非信者を「凡夫」と見下して呼んだが、井上死刑囚は修行の達成感によって「俺の魂は彼らとは違う」というプライドを獲得した。ナルシスティックではあるが、拝金主義の社会をあざ笑いながら見限ったのがオウムの特徴だったと言える。

 現代は20年前と比べても社会が成熟したとは言えず、現実社会を見限る若者が出てくる状況も変わっていない。一方、インターネットが発達し、人と人との交流範囲が一気に広がった。これがカルト側にとっては、新たに有効な勧誘の道具となった。ネットを通じて問答し、入信すればすべての問題解決を与えられるかのように扇動する。

 カルトには四つの特徴がある。(1)カリスマ的な指導者への畏怖(いふ)を含めた敬愛がある(2)社会的な規範から逸脱してもいいという論法が教義に含まれている(3)全ての行動において教義に従うと安心を与えられ、従わないと罰が下る(4)手本となる信者たちへの強い憧れがある−−ことだ。私はこれを「自己封印システム」と呼んでいる。そこに入ってしまうと、物理的な壁がないのに、自ら心理的な壁を作って閉じこもり、一般社会に戻ってこられなくなる。

 必要なのは、人権を侵害するカルト集団が案外身近に存在していることを知り、そうした団体の勧誘方法を把握しておくことだ。そうでないと、情報や感情をコントロールされ、誘導されていることに気づかないまま入信してしまう危険がある。

 人生や社会の問題を解決するのは今すぐでなくてもいいのだと、若い世代に知ってほしい。就職して、結婚して、親になって、自分の生活や役割が変わることで初めて分かる大事なこともある。解決困難な課題をじっくり我慢しながら考えるのも人生の大切な価値だ。我々大人にも、若者が拙速にならず、迷いながら課題に立ち向かう態度を受け入れる寛容な社会を築くことが求められている。【聞き手・川名壮志】

 ◇多様な想定のテロ対策必要 宮坂直史・防衛大学校国際関係学科教授

 日本にはオウム真理教による一連の事件に関する公的な報告書が存在しないため、解明されていない問題がまだ多くある。警察庁防衛庁(当時)の一部には松本サリン事件に教団が関与したとの見方があったのに、なぜ翌年の地下鉄サリン事件を防げなかったのかという根本的な疑問に対する答えは、刑事裁判でも見いだせなかった。日本全体でどんな間違いを犯したのか。制度的、心理的な問題から検証すべきだった。

 オウムはサリン以外に炭疽(たんそ)菌やボツリヌス菌のような生物兵器を使ったテロも試みていた。米国の研究者は死刑判決を受けた元教団幹部に面会し、こうした経緯をリポートにまとめて公表している。一方で日本では、教団がこれらをどういう手順で生成しようとしたのか十分検証されていない。これは国家として恥ずべきことだ。起訴された範囲で有罪か無罪かを判断する刑事裁判では、全体像を明らかにすることはできない。

 2001年に米同時多発テロが起きた後、米国は前政権時代までさかのぼってテロを防げなかった理由を検証し、失敗を認めた上で、個人の責任ではなく風土やシステムの問題と結論付ける報告書をまとめた。日本では、福島第1原発事故後に政府、国会、民間の事故調査委員会が設置されたが、各委員会の検証結果が、その後の対策に生かされているのか疑問だ。04年に施行された国民保護法に基づき、国や自治体主導で日本への武力攻撃や大規模テロ発生に備える国民保護訓練が行われている。だが、これも地下鉄サリン事件を想定した訓練がいまだに多く、ワンパターン化している。状況に応じた判断が求められる訓練は少ない。

 私が立ち会ったある救助訓練では、防護服を着た消防や警察、自衛隊が担当区域を調整することなく、別々に動いていた。20年前はサリンだと分からないまま電車が走り続けて被害が拡散したのに、1カ所でテロが起こる前提で訓練している。これで教訓を生かしていると言えるだろうか。地下鉄サリンのようなテロが再発すれば、被害はより大きくなるのではないかと懸念している。

 化学兵器の国際規制は強化されているが、原料を容易に入手できる塩素ガスを使用したテロがイラクなどで発生している。世界のテロ動向を研究したうえで、多様な想定に基づく対テロ訓練が必要だ。

 邦人2人を殺害したとされるイスラム過激派組織「イスラム国」(IS)は、今年2月に公開したウェブ広報誌で、日本を名指しして「今や、あらゆる場所で標的になる」とした。これを読んで影響を受けた人物が日本に対してテロを仕掛けてくる恐れがある。

 だが、日本はテロの未然防止策も遅れている。米国や欧州連合(EU)諸国には外国のテロ団体を指定し、支援や構成員の入国を規制する制度がある。日本も04年に策定した「テロの未然防止に関する行動計画」で制度導入を検討するとされたが、今も実現していない。

 昨年、ISに参加しようとした大学生に対し私戦予備及び陰謀容疑を初適用して出国を阻止したが、海外のテロ組織に対する支援の規制は十分ではない。憲法が保障する基本的人権を制約しかねず難しい問題ではあるが、導入の必要性を議論しなければならない時期に来ている。【聞き手・斎藤良太】

 ◇心の支柱となる学問再興を 大田俊寛・埼玉大非常勤講師

 私は数年前から、宗教学の再生にはオウム問題を総括することが不可欠であると考えるようになった。元信者と対話し、オウムに関する2冊の研究書を執筆した。後継団体の一つである「ひかりの輪」についての見解書も作成し、現在東京地裁で審理が進められている刑事裁判にも協力した。ただ、残念ながら、それらが明確な形で実を結んだとは言い難い。

 私の目的は、オウムとは何だったのかを明らかにし、事件の再発を防止し得る環境を整えていくことにあったが、今も日本社会は、宗教や思想に起因する諸問題に適切な対応を取るための体制を備えてはいないように見える。

 とはいえ、そのことに関して、社会全体や特定の個人に責を帰そうという気持ちは毛頭ない。日本の宗教学者にとってオウム問題とは、人ごととして語ることを許される対象では全くないからである。何人もの宗教学者がオウムの成立と発展を陰に陽に後押ししてきたこと、そして1995年以降も、オウム問題の解決に向けて十分な努力を払わなかったことについて、日本の宗教学の末端にいる一人として、改めて深く謝罪の意を表しておきたい。

 日本社会にオウムが出現したことにはいくつもの原因が考えられるが、その大きなものの一つに、学問の迷走や腐敗が挙げられる。戦後の日本の学問においては、戦中の国粋化・右傾化に対する反省から、左派的な論調が支配的となった。それは一定期間、国家や社会に対する批判力となり得たが、冷戦構造のなかで社会主義体制がゆがんだ姿をあらわにし始めるにつれて、左派的な思想や運動も迷走の度合いを強めていくことになった。学生運動の挫折や連合赤軍事件は、その帰結の一つと捉えることができよう。

 とはいえ、社会主義的な革命思想自体は、学界や大学において、その後も消え去ることはなかった。社会主義は本来、唯物論的世界観を基調としていたが、70年代以降になると、難解な論理に依拠した衒学(げんがく)化や、神秘主義的な精神化がそこに付加され、「ニューエージ」や「ニューサイエンス」、「ポストモダニズム」と呼ばれる諸動向を生み出していった。

 その影響から学問は、現実を理解させるための明晰(めいせき)な知見を提示するという本分を見失い、ミスティフィケーション(神秘化やごまかし)の技術を駆使して奇妙な革命論を吹聴する者がもてはやされる場にさえ化してしまった。多くの優秀な学生たちがオウムにひかれていった背景には、大学で主唱されていることとオウムの教義がさほど背反しないと思われたこと、そればかりか、結局は知と言論の水準にとどまる学問に比して、むしろオウムの方がよりラジカルであるように感じられた、という要因が存在していただろう。

 複雑化と流動化が根深く進行する現代社会において、冷静かつ理性的な態度を保持し続けるのは容易ではなく、学問の世界もまた、あしき扇動・欺瞞(ぎまん)・短絡の横行を免れてはいない。しかし私はそれでも、学問が本来的に深い価値を有し、社会の着実な改善のために不可欠であること、また、若い人々には確固とした精神的支柱となり得ることを信じている。オウム事件を反省のための良き糧とし、本当の学問を取り戻そう。(寄稿)

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 ◇地下鉄サリン事件

 1995年3月20日朝、オウム真理教元代表松本智津夫麻原彰晃)死刑囚の指示で、教団信者が東京・霞ケ関駅に向かう地下鉄3路線に猛毒サリンを散布。乗客、駅員ら13人が死亡し、6000人余が負傷する惨事となった。首都を標的にした初めての化学テロは、日本政府だけでなく各国がテロ対策に乗り出すきっかけとなった。一連の事件に関与した多くの若い信者は、極限の修行を通じてマインドコントロールされていたとされ、カルト宗教に救いを求める若者心理の研究も進んだ。松本死刑囚の1審判決は、教団による一連の事件の動機を「救済の名の下に、日本を支配して王になろうとした」と指摘している。

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 「論点」は金曜日掲載です。opinion@mainichi.co.jp

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 ■人物略歴

 ◇にしだ・きみあき

 1960年徳島県生まれ。関西大卒。静岡県立大准教授などを経て現職。専門は社会心理学でマインドコントロールを研究。日本脱カルト協会代表理事

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 ■人物略歴

 ◇みやさか・なおふみ

 1963年東京都生まれ。早稲田大大学院政治学研究科博士課程中退。テロリズム研究が専門で、著書に「日本はテロを防げるか」(ちくま新書)など。

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 ■人物略歴

 ◇おおた・としひろ

 1974年福岡県生まれ。宗教学者。東京大大学院(宗教学)博士課程修了。主に西洋宗教思想史を研究。著書に「オウム真理教の精神史」など。
    −−「論点:地下鉄サリン事件20年」、『毎日新聞』2015年03月13日(金)付。

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http://mainichi.jp/shimen/news/20150313ddm004070005000c.html





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