覚え書:「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。

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野坂昭如の「七転び八起き」
第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ

 東日本大震災から4年。福島原発事故から4年。上辺の復興がいわれながら、すべてがうやむやのまま5年目を迎えようとしている。今の上っ調子なお上、これに対し違和感を覚えている人は多いはずだ。息苦しさが世間を被いはじめている。それでもなお、立ち止まって考えようとしない。向き合わなければならぬ現実から目を逸らし、戦後豊かさに向かって1億総邁進を善しとしたあの頃と似た空気。お上は棄民政策を続けている。
 福島でいえば、いまだ避難を余儀なくされている人が大勢いる。復興という言葉の空々しさに気がついている人はいても、その原因を問うことはしない。新天地で精いっぱい生きていこうとする人がいる。一方、原発事故以来、いまだ先行きの見通しないまま、常に不安定な生活を強いられている人もいる。福島に限ったことではないが、同じ被災者という立場でも、被災者同士で溝が深まる。強制的に避難させられている人と、自主的に避難している人の間に、賠償額などで格差が生じ、地域の和が乱れ、これが復興のさまたげにもなる。上辺活気を取り戻したようにみえて、その陰に、いったい何人の自殺者がいるのか。
 4年を経た今、被災地以外に暮らす人間はといえば、まだ復興は半ばではあるものの、被災者の多くに普通の生活が成り立っていると思い込んでいる。そう思い込むことで、自分たちの日常が確立され、まともだと思えるのだ。それまでの暮らしを断ち切られ、追い出された人の多くは、いまだ絶望感から抜け出せないでいる。そこには置き去りにされたまま。被災者たちの声は届かない。かわってお上の調子のいい号令ばかりが響く。その筆頭は、福島原発はコントロールされているという嘘。これは大本営発表よりひどい。
 汚染水の問題は何も解決していない。4年も経って、処理システムもメドが立たず、そもそも原発をつくる上で、原子力のタブーについては触れないできた。わが国は資源小国、やがて油田枯渇をいい、発展するために必要と、その危険性や矛盾は考えないことにして、ギリギリの綱渡りを続け、自己は想定外だと宣う。想定外という言葉は人間の驕りである。先日も汚染水の外洋流出という事件が起きている。汚染水の濃度が低いからコントロール出来ているというが、問題は数値の高い低いではない。10カ月もの間、隠蔽を続ける東電。この体質、昨日今日にはじまったわけじゃなく、かつてよりひどくなっている。放射性物質への風評被害と戦い、ようやく明るい兆しが見えたところで、大本がこれではどうしようもない。
 東電はもはや民間企業じゃない。つまり東電の隠蔽体質はお上の体質そのものといえる。お上は五輪招致のもと、福島の問題はないものとして、不都合な事実を隠す。また原発再稼働ありき、これを前進させるため、国は原発事故によって、当たり前の生活を奪われた被災者たちを見棄て続けている。廃炉に向けての除染廃棄物の行方も決まらぬまま、国も原子力規制委員会も、原発再稼働、つまり利害関係の継続を優先、震災後には、言われていた脱原発について、その過程すら考えることをやめた。
 廃棄物の仮置き場の土地が決まっても、このシロモノの管理には、今後長期にわたって、膨大な金が要る。かつてのゴミはやがて土にかえった。自然から得たものを、自然に戻すサイクルだった。原子力のゴミは永久に生活環境の中にとどまる。日本人は震災後の今をその足元から見直すことをしていない。直視することを避けながら元通りの暮らしに戻ってしまった。上辺元通りになったことで被災地は復興し続けていると思い込み、やがてクルであろう地震にも教訓が生かされ、あんな目にはもう遭わないと信じて疑わない。誰かがどうにかするだろうと深く考えない。楽観主義ではない無責任そのもの。


 福島原発の現実が人間に問うている。いつか再び震災は起こる。人の手で制御出来ない原発が列島に点在している。このまま再稼働を許していいのかと。成長、成長というが、実はぼくらは退化しているのではないか。あれから4年、生物としての危機感を取り戻せ。(企画・構成/信原彰夫)
[訂正]2月10日の「対テロ策 首相の言葉 軍部に似て」の記事で、「川西航空機明石工場」とあるのは「川崎航空機明石工場」の誤りでした。
    −−「野坂昭如の『七転び八起き』 第199回 大震災から4年 危機感を取り戻せ」、『毎日新聞』2015年03月10日(火)付。

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