覚え書:「今週の本棚:岩間陽子・評 『対談 天皇日本史』=山崎正和・著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。

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今週の本棚:岩間陽子・評 『対談 天皇日本史』=山崎正和・著
毎日新聞 2015年03月15日 東京朝刊
 
 (文春学藝ライブラリー・1296円)

 ◇国の形と文化の成り立ち論ずる

 こんな日本史の授業を受けてみたかった。何事もはじめが肝心だが、中学二年で出会った日本史の授業はとにかく眠かった。「君は、なんで日本史の点だけこんなに悪いんや」と、親子面談で聞かれ、「だって、あの先生の授業面白くないんです。教師は面白い授業をする義務があると思います」と言い放った私を、担任は苦笑いして眺めていたから、おおらかな時代だった。

 高校で日本史を必修にという声があるらしい。するならせめて、明治維新からあとだけにしてほしい。太古の昔から始めて、延々難しい漢字が続き、明治維新が始まるあたりで時間切れ、となるのは最悪だ。歴史は、なぜ今、自分はここにあるのか、を理解するために必要だと思うから、まず近い過去から習うほうがいい。

 だが、こんな日本史なら習いたかった。夢の授業だ。山崎正和氏が亭主役を務め、十人の識者を招き、代々の天皇を通じて、日本の国の形と文化を論じていく。昭和四十九年に雑誌『文藝春秋』に掲載された連続対談を基にしたものであるが、昔の『文藝春秋』はこんなにレベルが高かったのかと仰天した。三十代末の山崎氏の対談相手は、四十代の小松左京高坂正堯から東大名誉教授まで。だが、みな見事に山崎氏の洒脱(しゃだつ)な議論に組み合っていく。

 権力と権威を分けるという知恵は、人類社会のいくつかの共同体に見られる。だが、ヨーロッパでは絶対権力を握った王から、その権力を引き剥がし、制限して飼いならすために、血みどろの戦いをくぐり抜けねばならなかった。日本の天皇制は、西洋で近代革命が成立するはるか前から、権力とは分離された権威を担い、社会の文化面に専心してきた。何故か?

 話は天智・天武両天皇による古代天皇制成立に始まる。これが宇多・醍醐(だいご)・村上各天皇まで来ると、藤原氏に権力をもぎ取られた天皇は、「風流の世界に沈湎(ちんめん)」していく。と同時に「コチコチの漢文の時代」は終わり、国風文化が定着していく。社交芸術が花開き、日本人の美意識の原型が成立する、と竹内理三は考える。

 以後、院政南北朝など、「オレもいっちょうやってみるか」という気になる天皇は時たま現れるがうまくいかず、結局「先祖を崇拝し、子孫を残し、一家が永遠に持続していくこと」に徹する形に落ち着いていく。芳賀幸四郎は「天皇へそ論」を展開し、「出臍(でべそ)天皇」はよろしくないという。足利尊氏は「天皇制の恩人」といわれ、目からうろこの落ちる思いをする。

 室町から安土・桃山時代に日本のルネサンスと近代化の萌芽(ほうが)を見る山崎氏は、国を閉ざして交易をやめ、重農主義に戻って大商人や公家階級を窒息死させた家康を、夢もロマンもないと目の敵にする。これに対して奈良本辰也は、スペインやオランダ、イギリスを相手に一戦を交える覚悟で続けねばならぬほど、当時の交易は利益が確実なものではなく、むしろリスクが高かった。家康の安定志向は、戦乱に疲れた農村の支持を得た、と論じた上で、鎖国が日本文化を矮小(わいしょう)化させたことは間違いないと認める。

 全十回。それぞれの回に数時間を費やし、時代背景と史実を説明し、その時代の本物の文学や美術・芸能を味わった上で、彼らの議論の妥当性をディベートする、という日本史の授業が設計できたら、どんなに楽しいだろうか。最終的に、やっぱり家康万歳に落ち着いたっていい。史実というものが、当てる光次第で、様々な輝きを見せるということに、心躍る思いを味わえさえすれば。
    −−「今週の本棚:岩間陽子・評 『対談 天皇日本史』=山崎正和・著」、『毎日新聞』2015年03月15日(日)付。

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