覚え書:「書評:オートメーション・バカ ニコラス・G・カー著」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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オートメーション・バカ ニコラス・G・カー著

2015年3月22日

◆機械に囚われ暮らす末路
【評者】吉田司=ノンフィクション作家
 コンピュータ先端技術が社会や暮らしのインフラまで支配するオートメーションの世界では、どんな奇天烈(きてれつ)が横行するかを分析した<二十一世紀の電子文明批判>の書だ。
 まず通勤電車の携帯ゲーム画面に没入して周囲のリアルも我をも忘れるスマホ依存症から、各国情報機関の携帯盗聴活動も金融市場の十万分の一秒スピードで行う高速高頻度電子取引も、旅客機の自動パイロット、お掃除ロボット・ルンバも、それから原発や水力ダムへのサイバーテロ、近未来戦争の殺人ロボット兵士に至るまでコンピュータ制御技術なしには何も動かない。いわば人間のお金も娯楽も生も死もすべて機械(人工知能)プログラムの命じるままってわけで、そうした電子タッチパネルの「ガラスの檻(おり)」に囚(とら)われて暮らす人生を文明の便利や進歩だと勘違いしている時代風潮を、本書は「オートメーション・バカ」と呼ぶ。
 だってロボットテクノの精密で高い生産効率性は工場やオフィスから人間の労働コントロール権や仕事(雇用)を奪い、全世界的なテクノロジー失業の嵐が吹き荒れるとされるからだ。やってくるのは<進歩>ではなく恐るべき<荒廃>なのである。そしてその巨大リストラから生まれたIT時代の莫大(ばくだい)な富を独占して「新たな財閥」が誕生する。そう、あのアラブの春やニューヨーク占拠運動が告発した若者の大量失業や上位1%の富裕層への富の集中(経済格差)や中産階級の没落などの世界現象は単に新自由主義市場原理主義のせいだけではない。その裏に原動力としてのオートメーション化が隠れていることを忘れてはならない。
 だから本書は、決して時代遅れのラッダイト(機械打ち壊し運動)本ではない。むしろ逆に、人間の労働する「魂を衰弱させようとするあらゆる力に抵抗する」ことは、極めてラディカルな「二十一世紀の反権力運動」なのだと教えてくれる。納得の一冊だ。
(篠儀直子訳、青土社・2376円)
 Nicholas G. Carr アメリカの著述家。著書『ネット・バカ』など。
◆もう1冊 
 徳田雄洋(たけひろ)著『デジタル社会はなぜ生きにくいか』(岩波新書)。情報の洪水、機器との格闘などデジタル世界の困難な生活を描く。
    −−「書評:オートメーション・バカ ニコラス・G・カー著」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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