覚え書:「書評:ドクター・ハック 中田 整一 著」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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ドクター・ハック 中田 整一 著  

2015年3月22日

 
◆和平を画策 希代の諜報員
【評者】西木正明=作家
 ドイツ人のドクター・ハックことフリードリヒ・ハックは、近現代史に興味をお持ちの方々にとっては、ある意味著名な存在と言えるだろう。いまや伝説的存在となっている、女優原節子を世に送り出した日独合作映画「新しき土」誕生の陰の立役者としても知られている。このような人物を俎上(そじょう)にのせて物語を構築するには、それなりのリスクと困難があることを覚悟せねばならない。ひとつまちがうとどこかで見た、あるいは聞いたような事柄の羅列になりかねないからである。
 はやばやと結論を述べてしまえば、この作品はそうした意地の悪い眼差(まなざ)しを、ものの見事にはね返してくれる。たとえば「新しき土」制作にあたっては、双方の監督伊丹万作とアーノルド・ファンクの対立により、日本版「新しき土」に加えて、ドイツ版の「武士の娘」という、まったくの別物といっていいような作品があったこと。
 大戦末期、ハックが日米双方の諜報(ちょうほう)機関に働きかけて和平工作を推進しようとしたことについては、すでに多くのメディアで紹介されてきた。本書ではさらなる新発見やディテールの補強と出会うことができる。ドクター・ハックという希代の諜報員の存在自体が、あの激動の時代の証言になっている。そんな読後感にひたれる作品である。
 ひとつだけ私的な思い出を語ることをお許しいただきたい。本書に登場する人物中、東和商事ドイツ駐在員として描かれる林文三郎氏は、映画関係者だった評者の叔父と、ふたりのベルリン駐在当時から親交があり、それは一九八五年に叔父が没するまで続いた。評者自身、大柄で堂々たる体躯(たいく)の林氏と叔父がベルリン時代の思い出話に花を咲かせる場にも何度か同席した。だが不思議なことに彼らが密接に関わった「新しき土」や、ナチスドイツ要人(たとえばゲッベルス)についてはまったく話題にならなかった。あの時代に対する彼らの複雑な思いが窺(うかが)い知れるようで、粛然たる気持ちになった。
平凡社・1836円)
 なかた・せいいち ノンフィクション作家。著書『満州国皇帝の秘録』など。
◆もう1冊 
 加藤哲郎著『ゾルゲ事件』(平凡社新書)。「伊藤律・発覚端緒説」をはじめ、過去に作られた事件の構図を再考し、その真相に迫る。

    −−「書評:ドクター・ハック 中田 整一 著」、『東京新聞』2015年03月22日(日)付。

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