覚え書:「今週の本棚:中島岳志・評 『皇后考』=原武史・著」、『毎日新聞』2015年03月29日(日)付。

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今週の本棚:中島岳志・評 『皇后考』=原武史・著
毎日新聞 2015年03月29日 東京朝刊
 
 (講談社・3240円)

 ◇推論重ね近代天皇制の本質に迫る

 1926年10月、神功(じんぐう)皇后を「第十五代天皇」とは認めず、皇統から外すという詔書が出された。神功皇后は、仲哀天皇の妃で応神天皇の母。現在では史実とは見なされていないが、三韓征伐の立役者として記紀神話に登場する。

 神功皇后仲哀天皇の死去から、応神天皇が即位する間の約70年間、実権を握っていた。彼女を天皇としてカウントしなければ、「大空位時代」が存在することになる。それでもなお、神功皇后は歴代天皇の名簿から除外された。一体、なぜか?

 カギを握るのは、当時の皇后節子(さだこ)。夫は嘉仁(大正天皇)で長男は裕仁昭和天皇)だ。彼女は当時、自らを神功皇后と一体化させつつ「神(かん)ながらの道」にのめり込んでいた。

 戦前期において、神功皇后は広く国民に知られた存在だった。1880年代に発行が開始された一円券、五円券、十円券には、すべて神功皇后の肖像が使われた。全国の地名には神功皇后にまつわるものが多く存在し、ローカルな場で伝説や信仰が息づいていた。

 節子が嘉仁と結婚したのは1900年。翌年に第一皇子・裕仁を出産したが、嘉仁はすぐに駆けつけず、素っ気ない態度を取った。しかも裕仁は生まれて70日目に伯爵川村純義邸に預けられ、母から引き離された。健康が思わしくない嘉仁は、御用邸での滞在や地方見学などで、節子のいる仮東宮御所にはなかなか訪れなかった。孤立した節子は精神的に落ち込み、不安を抱え込む。

 この頃、傍にいた下田歌子が、節子を励ますため、神功皇后になぞらえる話をした。これに勇気づけられた節子は、次第に自分と神功皇后が繋(つな)がっているという実感を強めていく。「節子にとっての神功皇后は、孤独の闇の彼方に現れた一条の光にほかならなかった」

 1912年、明治天皇が死去。嘉仁が天皇に即位し、節子が皇后となった。しかし、次第に嘉仁の病状が悪化。宮中祭祀(さいし)に皇后節子のみが出席するようになった。危機感を強めた彼女は、皇国主義を説く法学者・筧克彦の本を読み、「神ながらの道」へ傾斜していく。

 しかし、「そこには、体調を崩しつつある天皇にとって代わろうとする、不穏な思惑」が見え隠れした。これを察知した政府首脳は、対策に迫られ、天皇の引退と裕仁摂政就任を進めた。

 憤ったのは節子だった。彼女は裕仁天皇の座を受け継ぐことにネガティブな思いを抱くようになり、親子関係が悪化。皇后節子と皇太子裕仁の密(ひそ)かな権力争いが発生した。

 節子は夫である天皇の平癒を祈願する旅に出る。行先は福岡の香椎宮神功皇后を祭る神社だ。彼女は神功皇后と一体化することで「皇后霊」を受け継ぎ、天皇よりも強い霊力をもとうとした。さらに祭祀を通じてアマテラスとの一体化を志向する。

 節子は次男・雍仁(秩父宮)を寵愛(ちょうあい)した。天皇の死が近づくと、秩父宮が次の天皇になることを望むようになる。

 節子の政治的野心に警戒を強めた政府は、神功皇后を第十五代の天皇として認めない決定を下す。節子が神功皇后の霊を受け継ぐ「真の天皇」として君臨する可能性を断つ必要があったからだ。

 大正天皇の死後、裕仁が即位すると、節子は天皇の脅威となった。二・二六事件の際、節子は決起した皇道派将校に同情的だった。青年将校たちは弘前にいた秩父宮の存在に期待を掛けており、節子も彼の上京を強く希望した。これに脅威を感じた天皇裕仁は激怒。徹底した鎮圧に乗り出す。

 1945年の敗戦の際、節子は天皇の退位を主張。自らが天皇に代わる政治主体になることを最後まであきらめなかった。

 しかし、1951年に節子は急逝。「貞明皇后」という諡号(しごう)が与えられたが、生前の最高位である「皇后」として追諡されたのは神功皇后以来だった。

 皇后とはいかなる存在なのか。

 皇后は「皇后になる(、、、、、)」という主体性を要求される。これは天皇にはない特有の葛藤だ。そこには「皇后とは何か」という強烈なアイデンティティが発生することになる。

 現皇后美智子は、象徴天皇制の下、慈母的な存在として自らを表現している。武闘的な神功皇后をモデルとした節子とは対照的な皇后像を築き、戦後という時代と並走している。この皇后の平和主義的なあり方に、今上天皇は寄り添っている。著者はここに「天皇の皇后化」を見る。

 皇后のあり方は、時代や環境、パーソナリティに大きく左右される。そして、パートナーである天皇のあり方にも大きな影響を与える。皇后の役割は、極めて重要で大きな意味を持っている。

 多くの宮中祭祀が「創られた伝統」であるように、天皇制のあり方も近代という時代の中で再編成し続けている。大胆な推論を重ねながら近代天皇制の本質に迫った本書は、様々な議論を捲(ま)き起こすだろう。刺激に満ちた一冊だ。
    −−「今週の本棚:中島岳志・評 『皇后考』=原武史・著」、『毎日新聞』2015年03月29日(日)付。

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