覚え書:「くらしの明日 私の社会保障論 迫る原発再稼働の日 『切れ目のない』避難計画策定を=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年04月01日付。

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くらしの明日
私の社会保障
迫る原発再稼働の日
「切れ目のない」避難計画策定を
湯浅誠 社会活動家

 「切れ目のない」という言葉に聞き覚えがあるだろうか。英語表現で「シームレス」と言われたりもする。
 人間に適用すれば、切れ目のないセーフティーネットといった表現になる。本人および家族の病気や失業、災害や経済危機など、人生は波乱に満ちている。どんな事態が起きようとも人々が生きていく生活基盤を国家は保障する−−そのことを「切れ目のない」という言葉で表す。
 最近、この言葉が頻出するのは少し異なる場面だ。「切れ目のない安全保障」。国家の安全が脅かされる場面はさまざまに想定される。そのすべてに対応できるよう防衛体制を整備する。これも、人々が生きていく生活基盤を国家が保障することを目指している。
 どちらにも、ついて回るのは拡大・膨張への懸念だ。
 生活保障については、手とり足とり「保障してあげる」のが本当に本人のためになるのかという懸念が根強い。深刻なリスクを回避しようとする発想は、かえってパターナリズムモラルハザードをもたらし、人を堕落させるのではないか。それは社会保障費の増大を招き、国家財政の破綻を早めるのではないか、と。
 安全保障については、国家・国民の存立が脅かされるような重大な事態という概念が何を指すか定かでないという懸念がある。私たちが消費する石油の大半が通過するペルシャ湾の安全がそれに当たるといえば、資源確保のためには満蒙権益が不可欠といったかつての論理が想起される。庇護者アメリカの危機は私たちの危機といえば、結局大量破壊兵器のなかったイラク戦争のような事態も含め、どこまでも「おつきあい」する羽目になるのではないか、と。
 前者の懸念を強調する人もいれば、後者の人もいる。それぞれに対する反論もある。ここでそこに深入りすることはしない。ただ、どちらから見ても気になる問題がある。原発だ。
 福島第1原発事故に際し、故・吉田昌郎所長が想起したのは「東日本壊滅」だった。文字通り、国家・国民の存立が脅かされる重大事態だ。これに対して「切れ目のない」政策をとったとしても、海外派兵に道を開くわけではないし、パターナリズムモラルハザードの心配もないだろう。にもかかわらず、確実な避難計画策定のないまま、刻々と再稼働の日が迫っている。これは、生活保障派、安全保障派、どちらから見ても懸念すべき事態なのではないだろうか。
 「切れ目のない」という表現が、原発をめぐっても語られることを望みたい。
原発再稼働 原子力規制委員会は、新規制基準に基づく原発の安全審査で、九州電力川内原発1、2号機を「適合」と判断。地元の同意手続きも終え、今夏にも再稼働の見込みだ。しかし、地元同意の範囲に明確な根拠はなく、立地自治体のみの同意で再稼働を進めることに周辺自治体からの反発も根強い。
    −−「くらしの明日 私の社会保障論 迫る原発再稼働の日 『切れ目のない』避難計画策定を=湯浅誠」、『毎日新聞』2015年04月01日付。

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