覚え書:「今週の本棚:堀江敏幸・評 『誰をも少し好きになる日−眼めくり忘備録』=鬼海弘雄・著」、『毎日新聞』2015年04月05日(日)付。

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今週の本棚:堀江敏幸・評 『誰をも少し好きになる日−眼めくり忘備録』=鬼海弘雄・著
毎日新聞 2015年04月05日 東京朝刊

 ◇『誰をも少し好きになる日−眼(め)めくり忘備録』

 (文藝春秋・1998円)

 ◇「存在」見つめるまなざしと距離感

 写真家は、出会いの術(すべ)に長(た)けている。与えられた仕事のなかでの接触というかたちでそれは毎日やってくるし、写すべきなにかとの遭遇がなければ、作品は生まれないからだ。ところが鬼海(きかい)弘雄はその先をゆく。再会の達人なのである。再会は出会いの偶然を必然に変え、顔を合わせたときからたがいの身に流れた時間の質を高め、目に映る景色を一変させる。

 カメラをペンに持ち替えても、再会は反復される。というより、写真では不可能なかたちでの再会が、言葉をつうじてなされているのだ。インドやトルコで、あるいは浅草で出会った人々の表情、風のにおい、湿り気、旅先での病臥(びょうが)、多摩川近くでの現在の暮らしが、昭和二十年代から三十年代にかけて写真家が過ごした、山形は月山のふもと、雪深い醍醐(だいご)村の日々との内的な再会をうながす。

 浮かびあがってくる郷里の人々は、どこかに負の要素を抱えている者たちばかりだ。歌がうまくて、澄んだ川底を玉石を抱いて歩くという伝説をもつ、少しだけ心の発達が遅れた「川向こうの村の魚屋の次男」の「たっちゃ」。農作業の機械化を受け入れられず、いつまでも牛力に頼っていた無器用な頑固者、「坂上の留爺(とめじい)さん」。二十歳で結婚、四十歳で離婚し、町のスナックのママに夢中になって借金をこしらえたあげく出奔した「たが屋の勝利(かつとし)」。この幼なじみのことを、写真家はインドのプリーで定宿にしているホテルの、下働きのクリシナを見て思い出す。

 おなじくインドの町クルナのホテルでは、マッサージをしてやるという案内の男のしぐさに小学五年生のとき、いきなり表情を変えて手を握ってきた「隣村の徳さん」を重ね合わせる。浅草でおばさんがかじっていたザクロの実からは、ザクロの木があった家に住む、小児麻痺で背骨が湾曲していた画家志望の「政彦さん」の後ろ姿がたちあがる。

 もっとつきあいの短かった人々を並べる、掌篇(しょうへん)のようなコンタクトプリントも印象深い。四十年近く前、遠洋マグロ船で見習い漁師をしているときに知り合った「松ちゃん」。薬品会社の倉庫で働いていたとき筆談で語り合った、耳の不自由な読書家の「大谷さん」。「酒を呑(の)んでいた仲間と些細(ささい)なことで喧嘩(けんか)になり、転んだ相手の頭の打ち所が悪く殺して」しまい、刑期を終えたあとも元の場所で猫の世話をしているという無名の男。そのあいまに、理解ある妻と老猫のゴンとに支えられた、平穏な日々が横たわる。

 それにしても、このまなざしと距離感はなんだろう。懐かしさではない。同情や非情でもない。そこに触れていないと、存在のいちばん奥にあるものがこわれてしまいそうな部分を、写真家は真正面から見つめ、銀塩のフィルムを現像するように、ゆっくり言葉に移し替える。「撮りたいものなどめったに写らないことを知ってはじめて写真家になったので、手間がかかるプロセスを抜きにしたら自分で何を撮ったらいいのか分からなくなるような気がしている」という自己観察は、書くこと全般に適用しうるだろう。書きたいものなどめったに書けない。それを承知で愚直に出会いを繰り返すだけなのだ。もちろん、別れも。

 二十数年間、浅草で写真を撮らせてもらっていながら、亡くなるまでその名前も知らなかったという「浅草のジェルソミーナ」の肖像について語り直した巻末の、「一番多く写真を撮らせてもらったひと」は、人を見つめ、想(おも)うことの意味をあらためて考えさせてくれる、静かな慟哭(どうこく)の一篇だ。
    −−「今週の本棚:堀江敏幸・評 『誰をも少し好きになる日−眼めくり忘備録』=鬼海弘雄・著」、『毎日新聞』2015年04月05日(日)付。

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